昭和36年、作者29歳の時「掌に強く爪を」(現在の前編に当たる)を書き下ろして以来、29年後に後編350枚を書き下ろして完成して、平成2年1月20日に菊版一冊にまとめて出版した。ほんの制作は、岩波ブックサービスセンター。装幀は今は亡き舞台美術家の本宮昭五郎。今回、上・下2冊に分けた。そして初版の原画の暗がりに黒く見える人影の輪郭を白い線で浮き出し、その人物の輪郭を少し変えて、見らけるように二人の人間が向き合いすれ違うようにした。あくまでも、原画を活用したもので、きづつけなければと思っている。
さて、この作品のことだ。もし、長い小説「夜の子たち」を読んだ人なら、二十前に作者はこれほど激しい人間関係の葛藤を書いていたのか! と驚くだろう。逆に、この作品を読んでから[夜の子たち]を読んだ人ならば、――あの激しい人間の葛藤は、どこへ消えたのか、あるいは姿を隠したのか! と思っても不思議はない。
それぼど、両極端な世界が二十七年の年月を隔てて、形を現している。
……誤解が誤解を生む……、いやそうではない。この小説の一本の太い異様な流れは、「かって私は、新庄誠之と一度も言葉を交わしたことがなかった」と書き始めた――私―【湯村俊明】の手記である。しかも、新庄の妻と不倫の関係にあった【男】の告白に相当する物事の流れだ。
その限りにおいて、誤解は二人の間に存在しなかった。そして、作品の冒頭で、思いがけず新庄を見かけることから、過去であった不倫が甦るように、現在形となって行く。しかも不倫の問題が全へ線の「掌に強く爪を」では、事件として展開しない。……再会した新庄の妻加莉の手から、すでに自殺して亡くなっている結城昇子の、加莉に宛てた「最後の手紙」を読むことによって、私――【湯村】は新庄から最後まで払拭されない誤解の人間関係の中を生きかざるを得ない。それは新庄に無視されていた報復であるように……、
いや、「上 掌に強く爪を」の内容にについて、これ以上作品の解説めいたことはやめよう。
一九六八年 作品集「敬虔な怒り」――現在の(上){掌に強く爪を}を収録した新刊案内の中で、「これほど粘液質な人間関係を書いた作品は日本にはない」と書き、著者への私信に「ここに一人の作家が誕生した」と文芸評論家・石井富士弥は書いた。
同年七月 「敬虔な怒り」を表題にした作品集を出版。
当時「新潮」の編集長たった酒井健次郎氏から丁重なお手紙を頂き、電話をして欲しいとの意向が書かれてあった。それから新潮社で酒井氏と何度かお会いした。ときには高田馬場騨近いレストランで御馳走になった。酒井氏は「敬虔な怒り」と「少年」「無能者の光条」を認めて下さった。その上で「敬虔な怒り」に言及され、
「だからどうなんだろうという思いは残りますね」といわれた。
「新庄か私(湯村)のどちらかが、相手を殺さなければ……」と私は答えた。
酒井氏は頷いた。そのとき私はこの作品が未完成であり、半分しか書けていないことを自覚していた。 なお、井上光晴氏から、有難いお葉書を頂戴した。
『いま「敬虔な怒り」を読んだところです。非常に新鮮な感じでした。文學をやるというのは大鰻なことすが、どうかがんばって下さい。いちばん困難な時がいちばんやりがいのある時でもあります。』
二十九年前初めて「掌に強く爪を」として、八年後「敬虔な怒り」と改題したときも、いまあるような形で完成する日がくるとは夢にも思っていなかった。それは出来上がった結果から見ると一目瞭然なのだが、〔新庄誠之〕の視鮎が発見出来なかったためである。しかも湯村の「手記」を読んでいる、進行形としての新庄の存在のみが持ち得る視点である。
後半を書き進めていくうちに、ノートにはほぼ現在書いた最後の第八章までのメモを取ってあったが、私は「下・敬虔な怒り」の湯村の手記を第三章まで――いたところで中止した。湯村の手記を読んでいる新庄の視点が必要不可欠になってきたのである。「殴り書きI・Ⅱ」、そして全くノートにはなかった「終焉・その一章 唯一の人間」をのめり込むように書いていった。「私-湯村」の後半の行動は、新庄の視界のなかから現われて来る。それがわかってきたとき、私は眼の前の鱗が落ちていくのを感じていた。私は新庄の行動を言葉の力に導かれるように追い掛けていった。それこそ三十年を経て見えなかった後半の世界へ向って私を駆り立てていた最大の要因であった。
後半を書くためには、当然のことながら、前半の部分を書き直さればならない。「無能者の光条」を出してから、後牛を書くことを決心したとき、果して書き上げられるかということよりも先に、書き進められるまでに、前半を直せるかという不安のほうが大きかった。手を入れた前半の校正が出揃ったのは、その年の八月。なんと後半のノートを取りながら、半年間手許に置き、書き進めながら更に直しを加えた。担当寺島三夫氏と印刷所が辛抱して待っていてくれなかったら、いまあるような形に仕上げられなかった。
二十七年後、昨年の平成二十七年この作品の倍の長さの『夜の子たち」を書き上げられるとは、今でも不思議な気持がしている。作者である私が動と静の両極端にある二つの作品に共通している要因があるとしたら、――それはかって生きて今はない死者が登場人物と対等な役割を持って、作品の中に、存在していることではないか」答えるほかはない。
「敬虔な怒り」では結城昇子、「夜の子たち」では惟能静世であろうか。……自殺した鴫之結紀子ではないはずである。
kikennnaikari: Pious anger (tiyohennsyosetu) (Japanese Edition)
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