この論考は、三島由紀夫と親しかった安部公房の世界から三島由紀夫の十代の詩を論じたものです。以下の目次です。
0。はじめに
1。安部公房と三島由紀夫の言語能力について
2。三島由紀夫と安部公房の思考論理の差異
3。十代の三島由紀夫の詩と散文について
4。二つ目の詩の「木枯らし」を読む
5。三島由紀夫の詩のこころと、その詩の世界の構成要素
6。三島由紀夫の源泉の感情と源泉の論理
7。『父親』という詩を読む
8。十代の詩のこころへの永劫回帰
9。何故『暁の寺』が完結したら「それまでの作品外の現実が紙屑になった」のか
安部公房も10代から20代の初めにかけて詩人でした。この軌跡は、三島由紀夫と全く同じです。そうして、ふたりとも同時期に小説家となり戯曲家となりました。
この論考は、安部公房が、ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学の例えを使って、三島由紀夫に語った現実と非現実(小説)の関係について、三島由紀夫が何をどう考えたのかを明らかにし、この三島由紀の理解によって、最晩年の『豊饒の海』第三巻『暁の寺』の終結部で何故『暁の寺』が完結したら「それまでの作品外の現実が紙屑になった」のかまでを、十代の詩を読み解くことによって、明らかにしたものです。
その過程で、『花ざかりの森』と『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋』という、これも十代の、それぞれ16歳と18歳の小説の間にある飛躍の関係を論じて、この十代の小説の主題と動機が如何に最晩年の四部作にまで及んでいるか、それを、死の一週間前のインタビューにおいて「十代にハイムケール(帰郷)する」のだと言った三島由紀夫は、一体どのようにそれが出来たのか等々、実に多彩な事実について論じております。
やはり、安部公房も同様でありますが、十代の詩を読み解くことは、三島由紀夫という人間を理解するために必須のことです。
即ち、『太陽と鉄』の冒頭で述べているように、小説家として身を立てるに際して、二十歳までは叙情詩人であったと断言し、また自分を贋の詩人であったと考えた三島由紀夫が、如何にして、死を前にして「人にどんなに笑われようと、またどんなに悪口をいわれようと、このハイムケールする自己に忠実である以外にないんじゃないか」と考えて、十代の詩人である自己に回帰して『豊饒の海』の連作を書いたのか、その理由と、三島由紀夫の人生における其の意義を明らかにしたものです。
十代の詩を読み解くことによって、一気にその最晩年の作品の構造と主題と動機にまで踏み込んで論じたものです。
一体『天人五衰』の結末が何を意味しているのか、その結末はどこに回帰していて、それは何故なのかを明らかに致しました。
これまでにない三島由紀夫論であることは、間違いのない必読の一書であると自負しております。
Reading and interpreting Mishima Yukios Poems in his teen age (Japanese Edition)
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