日本へ渡来する渡り鳥である水鳥の中核となる種はハクチョウ類にあると考える.
戦後これまで一貫してハクチョウ類は増加曲線を描いており,その個体数の将来性に関して疑問を描く必要性は感じてこなかった.
しかし,日本の本州に於いて,特に関東地方,主に利根川下流域の水鳥の越冬地という視点で考えると,戦後の1959度までは,ほとんど希少な種類であった.
1959~1960年度(1959~1960年度度)のオオハクチョウによる大規模な南下を引き起こした後,現在までわずか50年しか経過していない.オオハクチョウ,コハクチョウ両種合わせて85,000羽以上に達し,現在まで非常な勢いでハクチョウ類は個体数が増加したことが分る.しかしこれは戦後日本においてハクチョウ類への餌付けという行為の開始と,その成果によってもたらされた,あたかもバブル的な部分もあり得るのではないかと考える.
最新の「ガンカモ類の生息調査」(環境省)」情報を解析すると,両種ともここ5年間に,明らかに有意に大きく個体数の減少が読み取れる.その原因としては「鳥インフルエンザ」に対しての対策で,全国各地で当たり前に行われてきた餌付けの実施が実質的に打ち切られ,中断を余儀なくされたことが大きな原因の一つとなっていることが指摘できる.そして今後,餌付けをどの様に位置付けるか.餌付けとは何かを改めてしっかりと考査してみたい.
餌付けと何か,餌付けの典型的な事例をいくつか報告を行い,そして今回の「鳥インフル」対策によって全国的に生じたことが何なのか,そして越冬中に餌付けを止めるという事が何をもたらすのか,その部分が分らないままに半ば強制された行為の結果,それはどのように時間経過の中でハクチョウ類の個体数に反映していくのかを考査したい.
また今回は,全国の各地域により地域による市民の意識の在り方で,結果が大きく異なることもすこし分かってきた.
最大渡来数のほぼ1/2以下に減少をした福島県,あまり影響を感じない新潟県,それを機会として,安定的で新越冬地を形成し,個体数を拡大しつつある千葉県の3県を対比しつつ,その実情と背景に関して複数の事例から解析を行ってみたい.
ハクチョウ類自体も,その生活ぶりにすでに多くの箇所で,餌付けと,それをあえて拒否してまで自立という確かに新しい流れが生み出されつつあると考える.
この過程で,渡り鳥の保全に関わる市民活動のありようというこれからという命題も浮かび上がってくる.なぜなら戦後今迄の日本の市民活動のモデルとして、その原点としてのひとつであったと考えているからである。
nihon no etsuke banare shita hakucyourui no konngo nihonnoganruikamoruihakucyoruiwohozensuru (Japanese Edition)
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