旅をすると一大総合美術博物館のなかを歩いている錯覚をもつのはわたしだけではないだろうといつも思う。
人造の建造物のことでは無論ない。そこには自然という一元絶対世界があり、その所産である歴史、文化、人生が包摂されていて、あらゆる物象を眼前に繰り広げてくれる。
高いお金を払って外国を旅し、美術博物館を訪ねる必要もない。どこにでも旅はある。
定年来、書きためた旅日記や随筆雑文が相当量にのぼり電子書籍(1)-(10)巻にまとめた。その中から30数編を選び『折々の旅日記・別巻』として紙本にした。
旅好きになったのはいつの頃からだったろうか。
今にして思えばきっかけは終戦の翌年、旧制中学に上がって習いはじめた英語という、それまで見たことも聞いたこともない外国語だったことは間違いない。
英語の先生が授業に進駐軍のキャプテンを招いて、少年の好奇心に火をつけたのである。東北の片田舎にも米軍基地があった。
生来、新しがり屋のわたしは身のほど知らずに外国に憧れ、「アメリカに行きたい」などと言っては親を困らせたことを思い出す。
毎日新聞の連載コラムに『アメリカだより』(鈴木文四朗)というのがあり、夢のようなアメリカの生活を紹介していた。
そんなこともあってか、得意科目は英語と地理、歴史だった。
旅が好きになったのはこのあたりに由来している。
それにしても旅は人のこころを豊かにする。芭蕉の「百代の過客」ではないが、<悠久の自然の摂理のなかをゆく旅人、ちっぽけな人間>。その人間が歴史をつくり、文化が生まれた。
世界をあるいて目くるめくような古今の文化、文明をこの目で見てきたように思う。歴史は後世人が物語に仕立てたにすぎないものであることを知りつつも、なぜかこころ惹かれる。
誰が用意してくれたものでもない。敢えて神とは言うまい。しかし八十路に差しかかり畏怖の思いに駆られるのは確かである。
芥子粒のような人間が、二元相対世界を離れ自然という一元世界を旅するなかで、大いなるものと共にあることを身をもって感じとるからではないか。
人生もまた旅と言われる。旅の中で内外に多くの友人、知己を得た。まことに感謝というほかない。
ここで敬愛する友人S氏の「人生三訓」に思いがおよぶ。旅のこころにも通じる<人間のABC> = A(Aggressive)、B(Blessing)、C(Curiosity)である。
わけても、B(恩寵・感謝)が心をとらえて離さない。
五月雨を あつめて早し 最上川 (奥の細道)
oriorinotabinikki: rekisibunkajinseiwokangaeru (Japanese Edition)
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