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    Amanohiboko Ouchou 4 (Japanese Edition)

    Por Handewn

    Sobre

    アマノヒボコ王朝 4 播磨・伊勢・大和・紀伊
    ★大和百済王朝以前にアマノヒボコ(天日槍・天日矛)新羅王朝が存在した。倭国には、遠い昔から強固な朝廷が存在していたという〝幻の大和朝廷〟論に欺かれてはならない。

    〔本書の基本史観〕
    ◎自分探しの旅は、先祖探しの旅になり、歴史への旅となった。その途上、日本古代史の数々の偽造に気づいた。どうして、そうなるのか。その疑問を解き明かす熱情の旅になった。
    ◎日本列島は紀元前後、14、5世紀のアメリカ大陸や17、8世紀のオーストラリア大陸のように原住民(縄文人)しか住まない新天地だった。その新天地を、韓半島からの渡来人(弥生人)が開拓していった。
    ◎しかし、そうした渡来人の活躍は闇に葬られてきた。先祖を隠蔽したそのような歴史は砂上の楼閣に過ぎず、先祖を元のあるべき姿へ復元しなければならない。それが、現代に生きる子孫の果たすべき役割と信じる。

    〔序言〕
     自分は何者なのか。在日韓国人として、なぜ日本で生まれなければならなかったのか。その青春の疑問から、いつしか歴史の旅が始まった。『日本書紀』に目を通したとき、実に訳のわからない書だったが、韓(朝鮮)半島関係の記述が多く、〝朝鮮書紀〟じゃないかと思ったくらいだ。縄文人しか住んでいなかった当時の日本列島は、14、5世紀のアメリカ大陸や17、8世紀のオーストラリア大陸のように原住民しかすまない新天地でり、韓半島からの渡来人(弥生人)は日本列島に定住、開拓していったのだ。
     そうした痕跡を探し求めるため、実に多くの書を読破した。しかし、韓(朝鮮)半島との親密な関係を論述する書はほとんどなく、多くは日本が韓(朝鮮)半島支配していたという倒錯の論考である。歴史は人間の営みであって、神業の賜物ではない。新井白石は「神は人なり」と喝破したように、神業の史実を作り出してはなるまい。が、本居宣長など多くの研究者は、韓半島との関係に論述せず、神業の史実を多用した。〝存して論ぜず〟は、神業の史実を論じるなという教えであり、それがため、多くの人が歴史を正視せずして、とんでもないことを正当化している。罪深きことである。
     自分自身の淵源を訪ねる歴史旅の途上、『日本書紀』自体が偽造の書であることを知り、その『日本書紀』の記述を正当化せんがための論考が拡大生産されて、日本はまさに、韓半島との関係を断ち切った〝歴史偽造大国〟になっている。それは、先祖に対する冒涜であり、神に対する冒涜でもある。日本人自身がそうした偽造を正していかなければならないにもかかわらず、経済的利益を優先するあまり、歴史偽造を拡大再生産して、韓国併合という罪業まで敢行した。真の歴史を探求していくことこそが韓日親善を定立する礎であると信じる。
     奇しくも日本に生まれた在日韓国人として、韓半島にルーツを持つ者として、闇に葬られた先祖の事績を正しく検証し、復元したいという熱情にかられた。それは、自分が何者かという青春の疑問に対して、回答を求める旅であり、遠く古代にまでつながるであろう自分探しの旅であり、先祖に感謝する旅でもある。自分が何者かを知りたいと思ったら、本書を熟読していただきたい。その前に『日本書紀』を通読されることをお勧めする。

    目次
    〔54〕 八千軍野古戦場跡
    〔55〕 八千軍野古戦場跡① 粳岡伝承地  兵庫県姫路市豊富町御蔭
    〔56〕 八千軍野古戦場跡② 粳岡伝承地  兵庫県神崎郡福崎町八千種
    〔57〕 八千軍野古戦場跡③ 中臣印達神社  兵庫県たつの市揖保町中臣1360
    〔58〕 八千軍野古戦場跡④ 伊和神社  兵庫県宍粟市一宮町須行名407
    〔59〕 八千軍野古戦場跡⑤ 御形神社  兵庫県宍粟市一宮町森添280
    〔60〕 八千軍野古戦場跡⑥ 粳岡伝承地  兵庫県姫路市船津町八幡新
    〔61〕 八千軍野古戦場跡⑦ 穴禾郡安師里  兵庫県姫路市安富町三森平谷
    〔62〕 八千軍野古戦場跡⑧ 奪谷伝承地  兵庫県宍粟市山崎町川戸
    〔63〕 八千軍野古戦場跡⑨ 高家里  兵庫県宍粟市山崎町高下
    〔64〕 八千軍野古戦場跡⑩ 伊奈加川  兵庫県宍粟市山崎町土万
    〔65〕 八千軍野古戦場跡⑪ 粒坐天照神社  兵庫県たつの市龍野町日山463
    〔66〕 八千軍野古戦場跡⑫ 福崎町  兵庫県神崎郡福崎町南田原3116(福崎町役場)〔67〕 八千軍野古戦場跡⑬ 潤賀  兵庫県宍粟市一宮町閏賀
    〔68〕 八千軍野古戦場跡⑭ 鷹巣  兵庫県宍粟市千種町鷹巣
    〔69〕 伊勢(いせ)神宮  三重県伊勢市宇治館町1
    〔70〕 穴師坐兵主(あなしにますひょうず)神社  奈良県桜井市穴師493
    〔71〕 比売許曾(ひめこそ)神社  大阪市東成区東小橋3-8
    〔72〕 日前・国懸(ひのくま・くにかかす)神宮  和歌山市秋月365
    〔73〕 伊太祁曾(いたきそ)神社  和歌山県和歌山市伊太祈曽558
    あとがき

    まえがき
     『播磨風土記』が、「天日槍は、八千の軍をもって伊和大神と戦った」と記す。伊和大神はオオナムチ(大己貴命)=アシハラシコオ(葦原醜命)のことで、その争闘の地が八千軍野古戦場跡ということなので、大いなる関心をもって、訪ねてみることにした。
     中国周代、500人が一旅団とされ、日本の律令制では、兵士100人から成る軍団が一旅団とされた。さすれば、ヒボコが擁した8000人の軍勢はとてつもない大きな軍団だ。ヒボコに対する伊和大神の軍勢も8000人に匹敵しただろうから、当時の倭地は、葦原の大原野であったはずで、ならば、8000人と8000人の大軍はどのように戦ったのだろうか。
     古戦場跡は、福崎町、たつの市、宍粟市、姫路市と播磨の地一帯に広がっている。なかでも有名なのが、「粒丘(いひぼのおか)の戦い」である。金達寿さんは、「伊和大神は、出雲族の象徴となっている大国主(大己貴)のことで、〝有馬温泉と唐櫃〟の項でもみたように、〝大年神〟である男神で〝韓の神〟である。要するに新羅系渡来人集団の象徴であった天日槍が伊和大神と〝国占め〟を争ったというのは、先住の渡来人集団と後来のそれとの争いだったのであろうか」と記している。
     シコオとヒボコの戦いを、魏志倭人伝が伝える倭国大乱と見る向きもあるが、拙著『倭国大乱は二王朝の激突だった』で詳述しているように、崇神帝の後、皇位継承をめぐって、垂仁帝グループと景行帝グループとが争い、全国規模に発展したのが倭国大乱であると考えている。
     垂仁帝グループは、熊襲・隼人を主体勢力とする九州王朝を構成するが、それが魏志倭人伝に記す狗奴国である。に対して、景行帝グループはプレ大和王朝であり、そのプレ大和王朝は非常に脆弱であったがために、ヒボコグループがそれに合流して、邪馬台国を構成するのである。そして、卑弥呼が神功女帝、ヒボコが仲哀帝という構図になる。
     この中にあって、シコオの出雲グループは、独自路線を歩み、中立的な立場を維持したようである。時には九州王朝に加担し、時には大和王朝に加担し、時には両者合一を説いたのかも知れない。播磨でのシコオとヒボコの戦いは、そうした戦いの中の一つのケースではないだろうか。この戦いの目的は、〝国占め〟であって、〝皇位継承〟の問題ではない。というのが、矛盾するところではあるが、その矛盾が解ける旅になるだろうか。

    〔54〕 八千軍野古戦場跡  播磨の地  兵庫県
     『播磨風土記』に伊和大神とヒボコ(天日槍)の戦いが載せられている。伊和大神はオオナムチ(大己貴命)=アシハラシコオ(葦原醜命)であるから、オオナムチとヒボコの戦いは、つまり出雲族と出石族の戦いということになる。
     伊和大神は、揖保川流域のほとんどを掌握していたが、そこへヒボコが殴りこんだという構図である。ヒボコが「八千の軍をもって伊和大神と戦った」と『播磨風土記』が記すその跡が「八千軍野(やちぐさの)古戦場跡」だ。
     どんな戦いだったかというと、普通は、それぞれの兵士が武器を取り合って、ワーッワーッと叫びながら、血の嵐となるサマを想像する。8000人の軍勢ともなれば、はんぱな人数ではない。
     中国周代には500人が一旅団とされ、日本の律令制では、兵士100人から成る軍団が一旅団とされた。とするなら、8000人は80旅団に相当する軍隊であり、道なき原野で、どうやって戦ったのだろうか。
     が、剣や戈を交える戦いではない。たとえば、海中に宿をとったヒボコが、海水をかきまわしてその渦のうえに宿ったため、アシハラシコオは恐れをなして、先に国を占拠しようとして丘で食事をしたとか、あるいは、山の上から黒葛三条を投げあうと、ヒボコの黒葛はみな但馬に落ちたので、但馬の伊都志(出石)の地を占めた、という類である。
     なんとまあ、牧歌的な戦いであることか。一種の賭け事といってもいい。そのような戦いに8000人もの兵士は必要ないと思われるが、それはさておき、「神様の戦い」としてお開きにしてしまいたい御仁もいるだろう。しかし、それでは歴史の謎が解明できない。
     要するに、その当時の倭地(日本列島)では、先にその土地を占拠したものが勝ちということではなかったのか。もしそこに先住者がいれば、相談して分け合うということではなかったのか。血を流してまで戦いあうことはなかったのであろう。
     というふうに考えると、出雲族と称されるアシハラシコオの勢力は、播磨を境にそれ以東の地には勢力が及んでいなかったということであり、それ以東の地は、ヒボコが自由に占拠できたということ
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