コンピューターは、アルゴリズムや機能を高めることでより進化すると考えられてきた。それは、常にリソース(CPU、メモリ、HDD)がぎりぎりで(限度があって)それらをより効率的に使うことが第1とされてきた時代が長かったからである。
しかし、今はビックデータ時代である。データ量優先の時代である。結果や解析方法なんて考えずに、単純なロジックでCPUをブン回して、メモリをガンガン使って、大量なデータを扱うことで、大抵のことが解決されてしまう。サーバサイドで来た動きは、数年後にパーソナルユースでも利用できるレベルになる。だから、リソースの有効活用のために工夫するというのはじきに時代遅れの悩みとなってしまうだろう。
このビックデータ時代が技術革新の一歩であるのならば、何の問題もない。しかし、今回の波は終末に近い。扱うことができるデータ量が、人間が一生を生きる間に触れるデータ量(1枚5MBの写真を10分毎に80年撮るとすると、合計は20TB)に到達している。後は人口のような上限値のある数量になるので、十分現在のコンピューターが相手にできる量となっている。現に、Googleサービスの中にはここ10年くらいの数十億人の生活が蓄積されているのである。
この動きは正しいのだろうか。私は、知的活動のレイヤーでは、正しくないケースもあると思っている。細かければよいというものではないし、単純に集計しさえすればよいというものでもないからだ。企業活動には特徴があって、その特徴に応じたデータ粒度があるものだ。人間の感性が活かせるレベルで取り扱ったほうが、ビックデータの解析よりも優れている場面というのがあるはずなのである。「人間の知性」が「コンピューターの力技」に負けるはずがないと思いたいというのももちろんだ。
機械の進化はすでに、人間を満足させるレベルに到達している。細かい指示をいちいち出さなくても感じ取ってくれるし、的外れなことを伝えたとしても、大部分を補足して理解してくれるほど、気が利くようになっている。だからといって、その状況を当然と考えてはいけない。逆を知っていた方が強いことだってあるはずだ。今ある便利さがどんな基盤の上に立っているのか、どこに弱点があるのかを自分なりに考えて答えを持っていて欲しい。
Computer (Japanese Edition)
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