福沢は金玉均ら朝鮮独立党に、日本刀・ピストル・ダイナマイトなどを提供したの
か? 杉田聡氏の主張を検証する。
本論「福沢諭吉は朝鮮甲申政変の黒幕か?」はミネルヴァ書房刊『アジア独立論
者福沢諭吉―脱亜論・朝鮮滅亡論・尊王論をめぐって』(二〇一二年七月)第四章
のために書き下ろされた。明治一七年(一八八四)一二月に発生した甲申政変と
福沢本人の関係を、現在入手できる限りの史料にあたることで再構成したもので
ある。
具体的には、杉田聡氏の、甲申政変では「福沢は金らにクーデターのシナリオを授
けたばかりか、日本刀の他、ピストル・ダイナマイト等の武器を提供した当事者であ
る」(明石書店刊『福沢諭吉 朝鮮・中国・台湾論集』九〇頁)との主張を検証する
のを目的としている。
目 次
はしがき
一 研究史の整理
井上角五郎・石河幹明・田保橋潔・山辺健太郎・琴秉洞・杉田聡
二 福沢諭吉が語る朝鮮と朝鮮人―明治一四(一八八一)年六月から明治一七年一一月まで
留学生の受け入れと金玉均との面会
壬午軍乱の勃発
角五郎らが朝鮮に派遣された理由
牛場卓三と高橋正信の帰国
三 朝鮮での井上角五郎―明治一六(一八八三)年一月から明治一七年一二月まで
角五郎、朝鮮に残って『漢城旬報』を発刊する
甲申政変前に角五郎が送った二通の書簡
甲申政変の経過
閔泳翊に斬りつけた犯人
四 福沢諭吉が語る甲申政変―明治一七(一八八四)年一二月から明治二一年三月まで
福沢書簡における甲申政変への初言及
明治一八年三月に帰国した角五郎を自宅に滞在させる
明治一九年三月、福沢朝鮮に何かを一〇〇本送る
明治二一年、角五郎の起こした事件で取り調べを受ける
五 井上角五郎が語る甲申政変(1)ー明治一七(一八八四)年一二月から明治二四年一〇月まで
甲申政変発生の第一報
「井上角五郎日記」と「福沢諭吉記事」
『漢城之残夢』
六 井上角五郎が語る甲申政変(2)ー明治四三(一九一〇)年一月から昭和一八(一九四三)年一二月まで
韓国併合直後に甲申政変関与をほのめかす
『福沢諭吉伝』が福沢黒幕説を追認
角五郎が明かした四人の日本人壮士
七 金玉均が語る甲申政変―明治一七(一八八四)年から明治二七(一八九四)年まで
福沢関与の証拠は薄弱
金玉均筆「擬以朝鮮策略」について
金玉均筆「甲申日録」について
八 朴泳孝・徐載弼・李奎完が語る甲申政変ー昭和一〇(一九三五)年から昭和一九(一九四四)年まで
朴泳孝の証言
徐載弼の証言
李奎完の証言
九 外交文書が語る井上角五郎ー明治一七(一八八四)年一一月から明治二〇年八月まで
政変前から公使館に情報を提供していた角五郎
政変後の角五郎による「内報」
福沢が朝鮮に送った日本刀は閔泳翊への見舞い品だった
日本政府に「密書」の存在が知られる
十 真相の探求
福沢の甲申政変関与の証拠はすべて事後
甲申政変当時、朝鮮に電報は届かなかった
金玉均は帰国まで平和路線を唱えていた
十一 政変に参加した四人の日本人
総島和作と金色良忍
陸軍語学生徒上野茂一郎
公使官通訳浅山顕蔵
註
資料一覧(年代順)
著者紹介
平山 洋(ひらやま よう)1961年(昭和36年)9月 ~)静岡県立大学国際関係学部国際言語文化学科助教。慶應義塾福沢研究センター客員所員。福澤諭吉協会会員。思想専門は倫理学・日本思想史。
fukuzawayukichi wa chosen koshin seihen no kuromaku ka tokoha sosho (Japanese Edition)
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