仏教から見ると、人間が自殺に追い込まれることは自然の摂理です。「死んでしまいたい」というのは、ごく自然な気持ちです。人間が自殺願望に追い込まれることを、おかしいと思う必要はありません。自殺願望は皆にあるのですから。
実際、死にたいと思う人が多いから大勢の人が自殺しているのだし、「死にたい」と思ったことがある人となるともっと多いはずです。私もよくそのような相談を受けます。ですから自殺は自然なことだと考えるほうが、それこそ自然なのですよ。けれどそんなふうに考えたこともないでしょう。皆さんには「自殺は非人間的な行為だ」という根拠のない先入観があって、この問題を客観的に検討したことがないのです。
本書ではまず、自殺願望について仏教の立場からお話しします(第1章)。そのあとで自殺は非道徳的なのか、悪いことなのかという問題についても考えます(第2章)。昨今、子供の自殺の原因として大きく取り上げられている「いじめ」については、本書の後半(第4章)で仏教の立場から処方箋を出します。この問題の背景にある教育についても一章をあてて考察しました(第3章)。
※2007年刊『自殺と「いじめ」の仏教カウンセリング』(宝島社新書228)の電子書籍化
主要目次
はじめに:自殺したいのは当たり前
第1章:なぜ死にたくなるのか
第2章:自殺と罪
第3章:事実による教育
第4章:いじめカウンセリング
おわりに:生きることを卒業する道
詳細目次
はじめに:自殺したいのは当たり前
第1章:なぜ死にたくなるのか
なぜ自殺に興味があるのか
自殺を美化する日本文化
「二分する西洋文化」と「統一する日本文化」
仏教は「区別」を認めて「差別」を非難する
意味もなく生き、輪廻する
心は絶えず形を変えて存続する
煩悩があるから輪廻する
渇いた状態から、欲が生まれる
五欲は「色声香味触」の楽しみ
存在欲は常にある
非存在欲は破壊意欲、怒り
「怒り」も「欲」も渇愛
渇愛こそ「生きるエネルギー」
さまざまな怒り
怒りと五欲
怒りと「自分の能力」
怒りと「世界の対応」
生まれたときから怒っている
期待がはずれると怒る
希望がないと苦しく、希望があっても苦しい
希望・期待は危険
気をつけないと幸せになれない
怒りの結果は「破壊」
欲の結果は不確実
怒りが壊すもの
怒りと自信
心は「怒りの海」に棲む魚
怒りは快感
「私は正しい」と思うから怒る
科学は人を不幸にする
弱き者の勇気(自信が弱い場合)
弱き者の勇気(自信ゼロの場合)
自己破壊にも失敗する人が自殺する
怒るなら、しっかり怒れ
人は刺激で生きている
欲と怒りの限界
ヒトラーの怒り
恐ろしい「後援」の威力
凶暴なサルの群れ
善友を求めて幸福の道へ
第2章:自殺と罪
自殺願望は異常現象?
死を迎えると、ほとんどの人は落ち着く
非存在欲が働くのは自然の流れ
中年になれば五欲は控えたほうがよい
善人・理性人の自殺
心のみの存在を目指して無色界の禅定を得る
理性人の自殺は善行為
ゴーディカ長老の自殺
自殺に追い込まれた感情で罪が決まる
自殺は必ず報われない
自殺者の来世
慈悲の実践で自殺願望は消える
第3章:事実による教育
何かのために死んだら失敗
タコのお母さん
「親の心、子知らず」のワケ
「生きること」より「死ぬこと」を教える
「自分の命は自分の勝手」の間違い
「お互い様」で生きている
親を敬うのは当たり前
「生きるのは楽だ」という勘違い
腰抜けに「腰抜けだ」と言っても大丈夫
子供の自殺は、アラスカのオーロラ?
動物の子供が必ずすること
人間は不自然
子供には刺激が必要
愛情は自分の努力で買うもの
「ジュースをくださいと言いなさい」
「子供を駄目にする」という自然破壊
大人が楽をするために管理している
子供のことは皆の責任
いじめられる先生
環境の悪さは百点満点
親から離れて子は育つ
友達と仲良くするのも楽じゃない
学校もつらいし、引きこもりもつらい
森に熊がいることを知っていれば大丈夫
第4章:いじめカウンセリング
いじめられる子供の二タイプ
いじめる子供の二タイプ
ボクシングのリングでは殴り合え
頭を使ってやり返せ
生き延びるための闘い
事例:「キモイ」「汚い」「臭い」と言われる
事例:持ち物を汚物のように扱われる
事例:無視される
事例:「チビ」「デブ」と言われる
事例:机に「死ね」という紙が入っている。
事例:「友達が一人もいない」と笑われる
事例:「お前なんか、仲間じゃない」と言われる
事例:男子に背中やお腹を蹴られる
事例:「いじめられるのは、自分のせいだ」と責める
事例:「いじめた人を殺したい」と考える自分は最低だと思う
仏教以前の問題
小さなフグのように生き延びる
おわりに:生きることを卒業する道
実際、死にたいと思う人が多いから大勢の人が自殺しているのだし、「死にたい」と思ったことがある人となるともっと多いはずです。私もよくそのような相談を受けます。ですから自殺は自然なことだと考えるほうが、それこそ自然なのですよ。けれどそんなふうに考えたこともないでしょう。皆さんには「自殺は非人間的な行為だ」という根拠のない先入観があって、この問題を客観的に検討したことがないのです。
本書ではまず、自殺願望について仏教の立場からお話しします(第1章)。そのあとで自殺は非道徳的なのか、悪いことなのかという問題についても考えます(第2章)。昨今、子供の自殺の原因として大きく取り上げられている「いじめ」については、本書の後半(第4章)で仏教の立場から処方箋を出します。この問題の背景にある教育についても一章をあてて考察しました(第3章)。
※2007年刊『自殺と「いじめ」の仏教カウンセリング』(宝島社新書228)の電子書籍化
主要目次
はじめに:自殺したいのは当たり前
第1章:なぜ死にたくなるのか
第2章:自殺と罪
第3章:事実による教育
第4章:いじめカウンセリング
おわりに:生きることを卒業する道
詳細目次
はじめに:自殺したいのは当たり前
第1章:なぜ死にたくなるのか
なぜ自殺に興味があるのか
自殺を美化する日本文化
「二分する西洋文化」と「統一する日本文化」
仏教は「区別」を認めて「差別」を非難する
意味もなく生き、輪廻する
心は絶えず形を変えて存続する
煩悩があるから輪廻する
渇いた状態から、欲が生まれる
五欲は「色声香味触」の楽しみ
存在欲は常にある
非存在欲は破壊意欲、怒り
「怒り」も「欲」も渇愛
渇愛こそ「生きるエネルギー」
さまざまな怒り
怒りと五欲
怒りと「自分の能力」
怒りと「世界の対応」
生まれたときから怒っている
期待がはずれると怒る
希望がないと苦しく、希望があっても苦しい
希望・期待は危険
気をつけないと幸せになれない
怒りの結果は「破壊」
欲の結果は不確実
怒りが壊すもの
怒りと自信
心は「怒りの海」に棲む魚
怒りは快感
「私は正しい」と思うから怒る
科学は人を不幸にする
弱き者の勇気(自信が弱い場合)
弱き者の勇気(自信ゼロの場合)
自己破壊にも失敗する人が自殺する
怒るなら、しっかり怒れ
人は刺激で生きている
欲と怒りの限界
ヒトラーの怒り
恐ろしい「後援」の威力
凶暴なサルの群れ
善友を求めて幸福の道へ
第2章:自殺と罪
自殺願望は異常現象?
死を迎えると、ほとんどの人は落ち着く
非存在欲が働くのは自然の流れ
中年になれば五欲は控えたほうがよい
善人・理性人の自殺
心のみの存在を目指して無色界の禅定を得る
理性人の自殺は善行為
ゴーディカ長老の自殺
自殺に追い込まれた感情で罪が決まる
自殺は必ず報われない
自殺者の来世
慈悲の実践で自殺願望は消える
第3章:事実による教育
何かのために死んだら失敗
タコのお母さん
「親の心、子知らず」のワケ
「生きること」より「死ぬこと」を教える
「自分の命は自分の勝手」の間違い
「お互い様」で生きている
親を敬うのは当たり前
「生きるのは楽だ」という勘違い
腰抜けに「腰抜けだ」と言っても大丈夫
子供の自殺は、アラスカのオーロラ?
動物の子供が必ずすること
人間は不自然
子供には刺激が必要
愛情は自分の努力で買うもの
「ジュースをくださいと言いなさい」
「子供を駄目にする」という自然破壊
大人が楽をするために管理している
子供のことは皆の責任
いじめられる先生
環境の悪さは百点満点
親から離れて子は育つ
友達と仲良くするのも楽じゃない
学校もつらいし、引きこもりもつらい
森に熊がいることを知っていれば大丈夫
第4章:いじめカウンセリング
いじめられる子供の二タイプ
いじめる子供の二タイプ
ボクシングのリングでは殴り合え
頭を使ってやり返せ
生き延びるための闘い
事例:「キモイ」「汚い」「臭い」と言われる
事例:持ち物を汚物のように扱われる
事例:無視される
事例:「チビ」「デブ」と言われる
事例:机に「死ね」という紙が入っている。
事例:「友達が一人もいない」と笑われる
事例:「お前なんか、仲間じゃない」と言われる
事例:男子に背中やお腹を蹴られる
事例:「いじめられるのは、自分のせいだ」と責める
事例:「いじめた人を殺したい」と考える自分は最低だと思う
仏教以前の問題
小さなフグのように生き延びる
おわりに:生きることを卒業する道