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    KAGESAEMOKAGAYAKU (Japanese Edition)

    Por Yasuko Takeda

    Sobre

     幼い頃のモノクロの風景が一変した岡山空襲の光景。町並や後楽園の黒いシルエットと赤く広がる火の色が鮮烈だった。美しいと言ってはならない光景が、四歳だったわたしの心に、厳粛な一枚の絵として残った。
     以来、「晴れの国岡山」で育ったわたしは、瀬戸内の明るい陽光の中で輝く色彩豊かな風景を絵として、一枚ずつ、心の中に留めていった。
     父母は優れた美的感覚を持ち、それは生活の中に常に生きていた。それがまた、わたしたちを絵を描くことの好きな子どもに育てた。わたしたちは、小学校時代の図画コンクールの賞状を比べ合ったことがある。賞状の枚数が最も多かったわたし。特選の数が最も多かった弟。兄は六年生の時、岡山県一というのを受賞した。
     当時の烏城は戦災で焼失したままで、月見櫓が旭川に面して残っていた。その風景は大人びた描かれ方wをしていて、詩情があった。子どもの頃見た兄のその絵を今でも思い返すことができる。
     弟の作品は子どもらしく、実に愛らしかった。パスの筆致は、妬ましいまでに自由で無心だった。粘土の器の指跡にも無邪気な心の動きが見て取れ、祖父が灰皿として長く愛用していたことも忘れられない。
     当時幼かった妹は、後に兄から、「靖子はずっと描き続けている努力家だが、感覚の良さはお前の方が上。」と言われたという。そう、わたしは「絵を描かない自分の存在はない。」と、ただそれだけで描き続けて来た。
     責任を伴う社会人としてのわたしは、誠に生き方下手の変人であった。日々の生活の中で抱かねばならない重いもの――それは、時として耐え難いまでに重さを増す。そんな中で描く。訴えたいという高邁な理念も思想もない。ただ、あるがままの自分を画面にぶつける。絵は時に切なさや嘆きの吸取紙、怒りを受け止めるサンドバックにさえなった。
     自分の歩んできた道で、数多くの「表現の尊厳」を傷つける一言を与えて来たのではないか――ということに気付いたのは、遠い日のことではない。その時ようやく、「自分がその時そう描きたい、と思ったからこう描いた。これがわたしの絵だ。」と、言い切れる所へたどり着いた。
     今、こうして小さな画集を刊行することになった。これが「分かち合う」機会の一つとなればと思う。
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