—『原作開発プロジェクト』に出品した作品に加筆修正を施しました—
舞台は、雪と氷に覆われた真冬のドイツ・ライプツィヒ。
大手音楽出版社に勤務する「わたし」と、音楽家である「彼女」、彼女の同居人であり音大教授であるザックス氏。3人の出会いと奇妙な人間関係、絡み合いが現代のクラシック音楽界の暗部と真実に切り込んでいく。
2013年夏、ライプツィヒの隣町ハレで、ある国際ピアノコンクールが開催された。かつてハレで活躍した音楽家ダニエル・ゴットロープ・テュルクの没後200年を記念して創設されたテュルク国際ピアノコンクール、そのコンクールで日本人参加者、川嶋さと子氏が1位を受賞する。そのニュースはすぐに日本のメディアにも伝えられ、川嶋さと子氏はピアニストとして一躍脚光を浴びることになった。
川嶋氏の1位受賞は実は異例づくめだった。
コンクールとは、ピアニストの登竜門であり、若い才能の発掘の場である。そのため若ければ若いほど有利であり、また、有力なピアニストやピアノ教授の門下であればなお有利とされる。参加に際しては3時間程度のプログラムを用意する必要があり、上位入賞を目指す挑戦者たちは、日々長時間に及ぶ過酷な練習を耐えて舞台に臨む、普通は。
その国際ピアノコンクールを制した川嶋さと子氏は、過去にピアニストとしてこれという活動実績がなく、しかも年齢は参加資格上限の35歳、有力な指導者の門下生でもなくほとんど独学、そのうえ普段は職務に忙殺される公立小学校教員という、覇者としてはかなり変わった経歴の持ち主だった。
そのような川嶋氏を、当初マスコミは好意的に報じていた。スポーツの世界では40を過ぎた選手が現役で活躍する時代であるし、音楽の世界も、いろいろな意味で可能性が広がったのではなかろうか。
そのテュルク国際ピアノコンクールには、川嶋氏のほかにも7人の日本人が参加していた。いずれも国内・海外で豊富な実績があり、若手の有望株とされる人材である。しかし、その7人は第一次予選を通過することなくそろって姿を消していた。その7人を差し置いて無名な35歳、しかも小学校教員が優勝するなどおかしい、という声が、次第にピアノ関係者の間で上がるようになる。この審査には何らかの不正があったのではないか。川嶋氏の優勝は、数々の不正によってもたらされたに違いない、そういった憶測がインターネット上にあふれるようになり、ついにマスコミもそれに同調し、騒ぎが拡大する。世論は川嶋氏に有罪を突きつけ川嶋氏に釈明を迫った。が、彼女が発言をすることはなく、受賞後、一度のコンサートを開くこともなく、それきり公の場から姿を消してしまった。
それから3年。
その真冬の日「わたし」は出張先のライプツィヒで、最後にとっておいた自由な1日を過ごしていた。わたしにとってライプツィヒは最愛の街であり、また深い感慨をいだく街であった。それは1989年、東ヨーロッパ各地で起きた「ビロード革命」と呼ばれる無血民主革命、その一連の革命の中で起きた東西ドイツの統一に由来していた。当時中学生だったわたしは一連の出来事を、学校で習い、またテレビから流れてくるニュースで見守っていた。そんなある夜、深夜番組の間隙をぬってあるシーンがテレビ画面に映し出された。それはベートーヴェンの交響曲第9番のコンサートだった。壁の崩壊したベルリンで、東西ドイツ融合を願って世界中から集まった音楽家によって演奏されたものだった。そのシーンはなぜか、わたしの心に深くしのび込んだ。以来、わたしは音楽とドイツに取り憑かれたようになり、やがてそれがわたしに音楽の道で生きることを決定づけたのだった。
ライプツィヒは、そのドイツ統一につながる最初の市民運動が起きた街だった。聖ニコライ教会で毎週月曜日に行われていた「月曜集会」、その集会がやがて大規模なデモ行進へと発展し、国を動かし、ヨーロッパを動かし、世界を動かした。その聖ニコライ教会は、わたしの最愛の作曲家バッハに深いゆかりのある教会でもあり、それゆえ、ライプツィヒはわたしにとっては二重三重に愛着と感慨をおぼえる街であった。
その聖ニコライ教会の前を通りかかると、入口の扉の前に初老の男性が立っていて、その男性に、中へどうぞ、と笑顔で促された。まもなく開演する教会コンサートへの誘いだった。ポスターにはJapanischchor in Leipzig、つまり、在ライプツィヒの日本の合唱団の演奏とある。日本人が多く住むわけではないライプツィヒに日本の何かがあるとは知らなかったわたしは、興味を引かれ、情報集めのつもりでコンサートを聴くことにし、促されるまま教会に入った。入口でプログラムを受け取り、演奏曲目を順に目で追っていくと、最後に指揮者の名が小さく書かれていた。Satoko Kawashimaと。
わたしは驚いた。
もしやこれはあの川嶋さと子か。姿を消したと思ったら、こんなところにいたのか。
とたんにジャーナリストの血が騒ぎだす。
3年前、実はわたしは彼女に会っていた。受賞後のインタビューを本社で行い、そのときのインタビュアーがわたしだった。騒ぎが起きた頃、わたしは心配して電話やメールで連絡を取ろうと試みたのだが、返事はなかった。彼女とはそれきりだった。
あのとき、あの騒ぎのさなか、彼女はたったひとつの言葉も発することはなかった。
今なら答えてくれるのではなかろうか。
あのとき、何が起きたのか、騒ぎのさなか何をしていたのか、何を思っていたのか、実際のところ、不正はあったのか、なかったのか、真実はどこにあるのか……
そして開演時間、川嶋さと子氏は舞台に現れた。
わたしは妙なる合唱を聴きながら、プログラムに猛烈な勢いで文字を書き込んでいった。インタビューの準備である。
終演後、わたしは彼女を訪ねた。インタビューにも成功した。
が、そこで聞かされたのは、思いも寄らない言葉だった。
あのコンクールで何が起きたのか。
彼女はなぜ優勝することができたのか。
そしてここで彼女は何をしようとしているのか。
真実はどこにあるのか。
音楽の街ライプツィヒ。ここはかつてバッハ、メンデルスゾーン、シューマンらが生きて活躍し、多くの楽曲を書き残した街である。その街で「わたし」「彼女」「ザックス氏」の3人がクラシック音楽の現実と暗部、未来に大胆に切り込んでいく。
クラシック音楽に携わる人には、ちょっと読んでほしくない作品である。(笑
※本文中の和訳文は、すべて著者自身による訳文です。
kakumei zenya (Japanese Edition)
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