We love eBooks
    Baixar Kitan Kimyoumu (Japanese Edition) pdf, epub, eBook

    Kitan Kimyoumu (Japanese Edition)

    Por Yamamoto Hajime

    Sobre

     森友徳盛が大叔父の大鶴老師に呼び出されて、京都六波羅の大領寺の奇妙庵に出掛けたのは、二〇〇〇年十二月の年の瀬も押し詰まったクリスマスイブも近い二十三日だった。そこで、老師から思いがけない話を聞かされ、一枚の古絵図を見せられ森友家に伝わる伝承を聞かされる。
     伝承は、知盛を反対に読めば「もりとも(森友)」となる。即ち、森友家の先祖を辿れば、知盛に辿り着くとあった。
     また、その古絵図は、森友家の先祖の村と、平知盛の墓、天叢雲剣を埋めた所在を示す絵図であった
     平知盛は、平家物語では、壇ノ浦で碇を背負って入水したと伝えられているが、実は乳兄弟とも影武者とも言われる豪傑の服部家長によって助け出された。
     知盛は壇ノ浦で入水の際に、腰に三種の神器の一つの『天叢雲剣』を差していた。
     服部家長によって助け出された知盛は、博多へと逃れ、予てから平家と交易のあった南宋の交易船で、南宋の寧波へと脱出する。
     知盛は南宋の地において、浙江省台州に住み、密かに帯同した功子内親王を娶り、賈知盛と名乗理、平家再興を図る。
     賈知盛の孫が有名な賈似道で、賈似道の姉が南宋の皇帝理宗の寵妃となり、その間に周漢国公主を産む。
     賈似道は、開慶元年に南宋に侵攻してきたモンゴルのクビライの軍勢を鄂州で撃破した功績により、宰相にまで出世した。ただし、このとき賈似道が大勝することができたのは、モンゴル側で皇帝のモンケが死去したために退却せざるを得なくなったことが、大きな原因だ。
     この戦いでは賈似道はクビライに天叢雲剣を見せて、自分は日本の天皇家に連なる平家の頭領一門であり、この剣を持つ者こそが、日本国を統治する天皇の印であると告げ、若しクビライがここで退いてくれれば、クビライがモンゴル皇帝になった暁には、クビライに協力して日本国を攻めて、賈似道の平家一族が現在の源氏の鎌倉政権に代わり政権を得て、モンゴル帝国に朝貢すると密約する。
     新皇帝となったクビライが最も恐れたのは、東の日本と南の南宋とにより、挟撃されることであった。
     モンゴル改め『元』王朝皇帝となったクビライは、「蕪湖の戦い」で捕虜にした賈似道の女婿范文虎に日本侵略を命じる。賈似道は暗殺されたが、范文虎は彼の意向を継ぎ、その息子の賈知道一行を帯同して、日本遠征に向かうが、博多湾で台風に会い殆どの勢力を失い逃げ帰り、その罪で罰せられて殺される。
     近くの島に避難して、命を助かった賈知道一行は、平家の子孫が多く住むと言う阿波の国の祖谷渓の山中深くに分け入り、そこに持参した平知盛の遺骨を埋めて墓とし、その傍らに天叢雲剣を埋葬し、その在処を書いた絵図を作り、これを子孫に伝える。
    その絵図こそが、老師が徳盛に見せた古絵図だった。
     老師は、この絵図を元にして知盛の墓と天叢雲剣を探して欲しいと徳盛に頼む。
     徳盛がその夜、奇妙庵に泊まると、平知盛の霊が夢枕に現れ、老師と同じ頼みをする。
     大鶴老師は、二〇〇五年に百五歳で遷化されたが、徳盛は老師が遷化された後も、長老の意志を継いで、息子清志の協力を得て、中国にまで渡り、祖谷に行き、愛知県の弥富に足を運んで、やっと知盛の墓と天叢雲剣の行方を探し出す。
     また、調査の中で、安倍首相も平知盛の子孫であることを発見する。

    以上
    Baixar eBook Link atualizado em 2017
    Talvez você seja redirecionado para outro site

    eBooks por Yamamoto Hajime

    Página do autor

    Relacionados com esse eBook

    Navegar por coleções