楷書の古典・欧陽詢(557ー641)の『九成宮醴泉銘』!
昭和初期、日本の学校書道の楷書の基本とさだめられたために日本では臨書の王者となった欧陽詢の『九成宮醴泉銘』を一字一字わかりやすいように拡大したもの。
昭和15年(1940)刊の中央書道協会『放大古法帖第三巻 九成宮碑』の国会図書館所蔵本を画像のまま復刻
三個所順番がおかしかったので直した
=======================
もとの表紙
凡例
九成宮醴泉銘 拡大版
- 九成宮醴泉銘 秘書監檢校侍
- 中鉅鹿郡公臣 魏徴奉 勅撰
- 維貞觀六年 孟夏之月
- 皇帝避暑乎 九成之宮此
- 則随之仁壽 宮地冠山抗
- 殿絶壑為池 跨水架楹分
- 巖竦闕高閣 周建長廊四
- 起棟宇膠葛 臺樹參差仰
- 視則…百 尋下臨則崢
- 嶸千仞珠璧 交暎金石相
- 睴照灼雲霞 蔽虧日月觀
- 其移山廻澗 窮極泰侈以
- 人從欲良足 深尤至於炎
- 景流金無欝 蒸之氣微風
- 徐動有淒清 之涼信安體
- 之佳所誠養 神之勝地漢
- 之甘泉不能 尚也
- 皇帝爰在弱 冠經營四方
- 逮平立年撫 臨億兆始以
- 武功壹海内 終以文德懐
- 遠人東越青 丘南踰丹儌
- 皆獻琛奉贄 重譯来王西
- 曁輪臺北拒 玄闕並地列
- 州縣人充編 戸氣淑年和
- 邇安遠肅群 生咸遂靈貺
- 畢臻難籍二 儀之功終資
- 一人之慮遺身利物櫛
- 風沐雨百姓 為心憂勞成
- 疾同堯肌之 如腊甚禹足
- 之胼胝針石 屢加腠理猶
- 滯爰居京室 毎弊炎暑群
- 下請建離宮 庶可怡神養
- 性 聖上愛一夫之力惜
- 十家之産深閇固挋未肯
- 俯從以為随 氏舊宮營於
- 曩代棄之則 可惜毀之則
- 重勞事貴因循何必改作
- 於是斲彫為 樸損之又損
- 去其泰甚葺其顔壊雜丹
- 墀以沙礫間 粉璧以塗泥
- 玉砌接於土 階茅茨續於
- 瓊室仰觀壮 麗可作鍳於
- 既往俯察卑 儉足垂訓於
- 後昆此所謂 至人無為大
- 聖不作彼竭 其力我享其
- 功者也然昔 之池沼咸引
- 谷澗宮城之 内本乏水源
- 求而無之在 乎一物既非
- 人力所致 聖心懐之不
- 忘粤以四月甲申朔旬有
- 六日己亥 上及中宮歴
- 覽臺觀閑歩 西城之陰躊
- 躇高閣之下 俯察厥土微
- 覺有潤因而 以杖導之有
- 泉随市涌出 乃承以石檻
- 引為一渠其 清君鏡味甘
- 如醴南注丹 霄之右東流
- 度於雙闕貫 穿青瑣縈帶
- 紫房激揚清 波滌蕩瑕穢
- 可以導養正 性可以澂瑩
- 心神鑒暎群 形潤生萬物
- 同湛思之不 竭将玄澤之
- 常流匪唯乹 象之精盖亦
- 坤靈之寳謹 案禮緯云王
- 者刑殺當罪 賞錫當得功
- 禮之員則醴 泉出於闕庭
- 鶡冠子曰聖 人光徳上及
- 太清下及太 寧中及萬靈
- 則醴泉出瑞 應圖曰王者
- 純和飲食不 貢獻則醴泉
- 出飲之令人 壽東觀漢記
- 日光武中元 元年醴泉出
- 京師飲之者 痼疾皆愈然
- 則神物之来 寔扶 明聖
- 既可蠲玆沉 痼又将延彼
- 遐齡是以百 辟卿士相趨
- 動色我后固 懐撝挹推而
- 弗有雖休勿 休不徒聞於
- 往旹以祥為 懼實取驗於
- 當今斯乃上 帝玄符 天
- 子今徳豈臣 之末學所能
- 丕顯但職在 記言属玆書
- 事不可使國 之盛美有遺
- 典策敢陳實 録爰勒斯銘
- 其訶曰惟 皇撫運奄壹
- 寰宇千戴膺 期萬物斯覩
- 功高大舜勤 深伯禹絶後
- 光前登三邁 五握機蹈矩
- 乃聖乃神武 克禍亂文懐
- 遠人書契未 紀開闢不臣
- 冠冕並襲琛 贄咸陳大道
- 無名上徳不 徳玄功潜運
- 幾深実測鑿 井而飲耕田
- 西食靡謝天 功安知帝力
- 上天之載無 臭無聲萬類
- 資始品物流 形随感變質
- 應徳効靈介 焉響赫赫
- 明明雜還景 福葳蕤繁祉
- 雲氏龍官龜 圖鳳紀日含
- 五色鳥呈三 趾頌輟不工
- 筆無停史上 善降祥上智
- 斯悦流謙澗 下潺湲胶潔
- 萍旨醴甘冰 凝鏡澈用之
- 日新挹之無 竭道随時泰
- 慶與泉流 我后夕惕雖
- 休弗休居崇 茅宇樂不般
- 遊黄屋非貴 天下為憂人
- 玩其華我取其實還淳反
- 本代文以篔戸高思墜持
- 滿戒溢念茲在並永保貞
- 吉 兼太子率更令
- 渤海男臣歐陽詢奉勅書
書法上扁、旁、冠、脚、構、繞、垂の分類
解説
字一覧
原本の部
九成宮醴泉銘解説
奥付
昭和初期、日本の学校書道の楷書の基本とさだめられたために日本では臨書の王者となった欧陽詢の『九成宮醴泉銘』を一字一字わかりやすいように拡大したもの。
昭和15年(1940)刊の中央書道協会『放大古法帖第三巻 九成宮碑』の国会図書館所蔵本を画像のまま復刻
三個所順番がおかしかったので直した
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もとの表紙
凡例
九成宮醴泉銘 拡大版
- 九成宮醴泉銘 秘書監檢校侍
- 中鉅鹿郡公臣 魏徴奉 勅撰
- 維貞觀六年 孟夏之月
- 皇帝避暑乎 九成之宮此
- 則随之仁壽 宮地冠山抗
- 殿絶壑為池 跨水架楹分
- 巖竦闕高閣 周建長廊四
- 起棟宇膠葛 臺樹參差仰
- 視則…百 尋下臨則崢
- 嶸千仞珠璧 交暎金石相
- 睴照灼雲霞 蔽虧日月觀
- 其移山廻澗 窮極泰侈以
- 人從欲良足 深尤至於炎
- 景流金無欝 蒸之氣微風
- 徐動有淒清 之涼信安體
- 之佳所誠養 神之勝地漢
- 之甘泉不能 尚也
- 皇帝爰在弱 冠經營四方
- 逮平立年撫 臨億兆始以
- 武功壹海内 終以文德懐
- 遠人東越青 丘南踰丹儌
- 皆獻琛奉贄 重譯来王西
- 曁輪臺北拒 玄闕並地列
- 州縣人充編 戸氣淑年和
- 邇安遠肅群 生咸遂靈貺
- 畢臻難籍二 儀之功終資
- 一人之慮遺身利物櫛
- 風沐雨百姓 為心憂勞成
- 疾同堯肌之 如腊甚禹足
- 之胼胝針石 屢加腠理猶
- 滯爰居京室 毎弊炎暑群
- 下請建離宮 庶可怡神養
- 性 聖上愛一夫之力惜
- 十家之産深閇固挋未肯
- 俯從以為随 氏舊宮營於
- 曩代棄之則 可惜毀之則
- 重勞事貴因循何必改作
- 於是斲彫為 樸損之又損
- 去其泰甚葺其顔壊雜丹
- 墀以沙礫間 粉璧以塗泥
- 玉砌接於土 階茅茨續於
- 瓊室仰觀壮 麗可作鍳於
- 既往俯察卑 儉足垂訓於
- 後昆此所謂 至人無為大
- 聖不作彼竭 其力我享其
- 功者也然昔 之池沼咸引
- 谷澗宮城之 内本乏水源
- 求而無之在 乎一物既非
- 人力所致 聖心懐之不
- 忘粤以四月甲申朔旬有
- 六日己亥 上及中宮歴
- 覽臺觀閑歩 西城之陰躊
- 躇高閣之下 俯察厥土微
- 覺有潤因而 以杖導之有
- 泉随市涌出 乃承以石檻
- 引為一渠其 清君鏡味甘
- 如醴南注丹 霄之右東流
- 度於雙闕貫 穿青瑣縈帶
- 紫房激揚清 波滌蕩瑕穢
- 可以導養正 性可以澂瑩
- 心神鑒暎群 形潤生萬物
- 同湛思之不 竭将玄澤之
- 常流匪唯乹 象之精盖亦
- 坤靈之寳謹 案禮緯云王
- 者刑殺當罪 賞錫當得功
- 禮之員則醴 泉出於闕庭
- 鶡冠子曰聖 人光徳上及
- 太清下及太 寧中及萬靈
- 則醴泉出瑞 應圖曰王者
- 純和飲食不 貢獻則醴泉
- 出飲之令人 壽東觀漢記
- 日光武中元 元年醴泉出
- 京師飲之者 痼疾皆愈然
- 則神物之来 寔扶 明聖
- 既可蠲玆沉 痼又将延彼
- 遐齡是以百 辟卿士相趨
- 動色我后固 懐撝挹推而
- 弗有雖休勿 休不徒聞於
- 往旹以祥為 懼實取驗於
- 當今斯乃上 帝玄符 天
- 子今徳豈臣 之末學所能
- 丕顯但職在 記言属玆書
- 事不可使國 之盛美有遺
- 典策敢陳實 録爰勒斯銘
- 其訶曰惟 皇撫運奄壹
- 寰宇千戴膺 期萬物斯覩
- 功高大舜勤 深伯禹絶後
- 光前登三邁 五握機蹈矩
- 乃聖乃神武 克禍亂文懐
- 遠人書契未 紀開闢不臣
- 冠冕並襲琛 贄咸陳大道
- 無名上徳不 徳玄功潜運
- 幾深実測鑿 井而飲耕田
- 西食靡謝天 功安知帝力
- 上天之載無 臭無聲萬類
- 資始品物流 形随感變質
- 應徳効靈介 焉響赫赫
- 明明雜還景 福葳蕤繁祉
- 雲氏龍官龜 圖鳳紀日含
- 五色鳥呈三 趾頌輟不工
- 筆無停史上 善降祥上智
- 斯悦流謙澗 下潺湲胶潔
- 萍旨醴甘冰 凝鏡澈用之
- 日新挹之無 竭道随時泰
- 慶與泉流 我后夕惕雖
- 休弗休居崇 茅宇樂不般
- 遊黄屋非貴 天下為憂人
- 玩其華我取其實還淳反
- 本代文以篔戸高思墜持
- 滿戒溢念茲在並永保貞
- 吉 兼太子率更令
- 渤海男臣歐陽詢奉勅書
書法上扁、旁、冠、脚、構、繞、垂の分類
解説
字一覧
原本の部
九成宮醴泉銘解説
奥付