作家の亡き丸谷才一氏は、森鴎外が書いた晩年の五十代に書いた三つの伝記文学─『渋江抽斎』『伊沢蘭軒』『北条霞亭』─を高く評価し、特に、最初の二つを「近代日本文学の最高峰」とまで激賞しています。いずれも江戸後期の医官、儒者でたいへんな読書家でした。丸谷氏曰く、
「鴎外は古本屋で彼らが売った本に出合い、「いったいどんな人がこれほど立派な蔵書を持っていたのだろう」と好奇心を抱いて探り出す。そこから話が始まります。伝記というと野口英世やリンカーン、エジソンなど誰もが知っている偉人について書かれることが多いけれど、鴎外の方法は違いました。よく知られていない人物を題材にして、探偵小説のように少しずつその人物のことを解き明かし、ときには壁にぶつかって立ち止まるけれど、別の手がかりを見つけてまた前へ突き進んでいく。この仕組みは、われわれが生活の中で謎に逢着してそれを解いていく様子とおんなしで、これこそ本当の現実だという感じがするのです。しかも、そのプロセスが鴎外一流の見事な文章で書かれている。
・・・なぜそれほど素晴らしいのか。この二作は続けて書かれたものですが、謎解きの構造がたいへん大仕掛けになっていて、『伊沢蘭軒』の中で、前作で解決されなかった謎がすっかり解けるのです。それは、渋江抽斎の師にあたる池田京水の家の跡継ぎ問題です。幕府の医官である家長の池田獨美と血のつながっていた京水は、なぜか家を出て独立し、村岡という男が養子になって家を継ぐ。どうして京水は家を出たのか。それを鴎外は京水の子孫から借りた京水自筆の巻物を読んで理解できたと著します。
実は六十歳をすぎた獨美には沢という三十歳も年下の三人目の後妻がいた。この沢には情夫がいて、情夫に家を継がせたいので京水を廃嫡しろと獨美に訴える。京水は事情を察して自ら退き、結局は間男の弟子である村岡が跡を継ぐことになったというのです。」(「文壇の重鎮 丸谷才一が語る「不朽の名作」」二〇一〇年三月二十三日付けPrejidentOnline)
丸谷氏の解説は、姦通問題に絡めて、もう少し続きます。
また、作家の石川淳も、三部作を激賞しています。曰く
「「抽斎」と「霞亭」と・・・この二編を措いて鴎外にはもっと傑作があると思っている人をわたしは信用しない。「雁」などは児戯に類する。「山椒大夫」に至っては俗臭芬々たる駄作である。」
石川淳の評価については、次の「日本語と日本文化」というサイトでわかりやすい解説がなされています。
http://japanese.hix05.com/Literature/Ogai/ogai09.siden.html
渋江抽斎は江戸中期の江戸時代末期に生きた医者にして儒家、書誌学者です。
「儒学を考証家・市野迷庵に学び、迷庵の没後は狩谷エキ斎(「エキ」は木へんに夜と記す)に学んだ。医学を伊沢蘭軒から学び、儒者や医師達との交流を持ち、医学・哲学・芸術分野の作品を著した。津軽順承に仕えて江戸に住む。 考証家として当代並ぶ者なしと謳われ、漢・国学の実証的研究に多大な功績を残した・・・・蔵書家として知られ、その蔵書数は三万五千部といわれていたが、家人の金策や貸し出し本の未返却、管理者の不注意などによりその多くが散逸してしまった。一八五八年、コレラに罹患し亡くなった。生涯で四人の妻を持ち、最後の妻である五百(いお)は、抽斎没後の渋江家を守り明治十七年に没した。」(ウィキペディア)
実直な人で、娯楽も煙草ややらず、お金は書物と食客の世話代に消えていたといいます。人の長所を重んじて、他人の窮乏にも見返りなく力になるという人です。波乱に満ちた人生ではありませんが、鴎外の筆致は、読者を飽きさせません。抽斎の公私に関連する多くの人々に大きく筆が割かれています。特に、抽斎の妻、五百(いお)は、教養も豊かで、肚が座っていて、抽斎宅に金をたかりに来た連中相手に、腰巻一つで懐剣を手に現われる場面は強烈です。物語の途中で抽斎は亡くなりますが、その後も叙述は、抽斎の存在感を感じさせながら続いていきます。
伊沢蘭軒は、安永六年(一七七七年)に生まれた医師、儒学者で、「著名な漢詩人菅茶山や学者の頼山陽・作家の大田南畝・書家の亀田鵬斎・考証学者の狩谷?斎など多くの文人と親しかった。藩主(阿部家)の信任が厚く、晩年に病で足が不自由になった後も特例として輦で城内に出仕することを許されたという。多くの子弟を育てたが、榛軒・柏軒の二子のほか、蘭門五哲(清川玄道、森立之、岡西玄亭、山田椿庭、渋江抽斎)と呼ばれる五人が特に著名である(岡西玄亭以外は幕府お目見得医師に列している)。」(ウィキペディア)。
細木香以は、幕末の豪商で、文人・役者の保護者として知られています。
※底本は青空文庫です。同文庫を制作されたのは、ボランティアの皆さんです。
【収録作品】
渋江抽斎
伊沢蘭軒
細木香以
興津弥五右衛門の遺書
Moriogai_no_Shidenbungau_no_Meisaku KyorinsyaBunko (Japanese Edition)
Sobre
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