「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!
ヘビメタ騒音でどうしても出口がなかった!どうしてもどうしても、どうしても、どこまでがんばっても耐えても、出口がなかった。弱っていくだけだ。失敗が積み重なっていくだけだ。ダメが積み重なっていくだけだ。どれだけ言っても、やめてくれなかった。ひたすら毎日、続いた。
日付のない日記型小説(散文)・手記小説 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!
各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。
「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。
ドストエフスキーの「地下室の手記」は間違いなく「愚痴」が書いてある。なぜ、小説に愚痴を書いてはいけないのか。「愚痴」というのは言い方を変えれば「苦悩」なのではないか。人間界に生まれて、こういう「苦悩」があったということは、文学がずっと取り上げてきた話題ではないのか。
サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、その単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではありません。
サイコパス(精神病質者)も同じだ。「平気で嘘を付く人」「なにを言ってもまったくつたわらない人」「自分がやったことなのに、やったつもりが生じない人」が、兄だったらどうなるかという話だ。そういう「困った人」が家族だったら、どうなってしまうのか? どういうことが起こるのか? ずっと毎日毎日やられ続けたらどういう人生になってしまうのか? という話だ。だから、そういうことに興味がない人は読まないほうがいい。
サイコパス(精神病質者)の人権じゃなくて、サイコパス(精神病質者)のまわりにいるひとの人権はどうなっちゃうかというはなしなんだよ。「困った人の精神分析」に興味がないひとは読まないほうがいい。サイコパス(精神病質者)と一緒に住んでいたら、どうなるかということについての「愚痴」だから。
臨床心理学、異常心理学、精神分析、騒音ストレスによるうつ病・心的外傷後ストレス障害などに興味がある人だけ読んだほうがいいと思う。困った人がヘビメタを鳴らすことに執着したらどうなるかという話だ。愚痴だ。
太宰治や芥川龍之介といった昔の暗い小説が読める人じゃないと読めないと思う。「カラマーゾフの兄弟」や「罪と罰」が読める人なら、読める。昔の暗い小説(純文学)が好きな人向け。逆に言えば大正・昭和の暗い小説や「カラマーゾフの兄弟」が読める人なら、読めると思う。
小説にしなければならないという事情がある。三島由紀夫の「仮面の告白」と同じだ。
リトマス試験紙としては、中上健次の「十九才の地図」を読める人なら読める。「十九才の地図」だって、全面愚痴小説だからな。
かつて岡本太郎は「芸術は爆発だ」と言った。
「小説は爆発だ」とぼくは言おう。
岡本太郎はまた「見た人がむっっなんだこれは!と思わないような芸術はだめなんだ」みたいなことを言っていたと思う。
「読んだ人がむっっなんだここれは!と思わないような小説はだめなんだ」とは言わない。しかし、ぼくはそこを目指す。
暗い小説!!!大爆発!!
古くて新しい文学……それが「騒音サイコパス」だ。
人類史上最大最高のネガティブ大爆発文学を、俺は目指す。
幼稚園の子供が絶叫しても、勉強ができないということはない。聞こえるは聞こえるけど、うるさくて勉強できないという感じではない。どうしてかというと、離れているから。幼稚園とうちでは、うちの庭と幼稚園の園庭のぶんだけ離れている。けど、幼稚園の校舎は、かなり境界線に近い位置にある。それでも、幼稚園生が絶叫しているからといって、奇声をあげているからといって、勉強できないほどではないんだよ。この距離ですら、そうなんだよ。実際、僕は、幼稚園生の声には、元気をもらっている。別にうるさいと思わない。実際音量的にも、ヘビメタ騒音とは比べものにならないほど、静かだから。けど、それは、距離の問題でそうなっている。耳元で幼稚園生が毎分毎秒、絶叫していたら(奇声をあげていたら)うるさいと思うのである。勉強できないほどうるさいと思うのである。ヘビメタ騒音の音のでかさが、幼稚園の園舎の中でどのくらい聞こえるのかわからないけど、僕の位置を中心にして考えると、ものすごく大きな違いがある。たとえ、幼稚園生の絶叫が、耳元では騒音であったとしても、庭の分だけ離れているから、そんなに聞こえない。別に、邪魔だとは思わない。幼稚園生が絶叫する声の音が、物理的におなじだったとしても、距離で聞こえ方がぜんぜん違う。幼稚園の園舎の方が、当時の隣の家よりも、近いんだよね。どの隣の家よりも近い。どの隣の家といっても、二軒しかないけど。
いま、複数の幼稚園生が園舎の中で、同時に絶叫していたとしても、「元気があるな」ぐらいにしか感じないけど、耳元で(毎分毎秒続けて絶叫されたら)やっぱり、腹が立つと思う。そういう違いがある。うちのヘビメタ騒音に関しても、そういう違いがある。兄貴が鳴らしている時間、園舎には人がいない状態だったけど、園舎の中にいるのであれば、兄貴のヘビメタ騒音はそれほど気にならない音なのかもしれない。離れているから。「聞こえはするけど、うるさくて勉強ができない」というような音ではないのだろう。園舎の中にいれば……。兄貴がうちでヘビメタを鳴らしていて、その時僕が、幼稚園の園舎の中で勉強できるなら、それほど問題にはならなかったんだろうな。兄貴のヘビメタは、耳元で絶叫されているとおなじだから。距離の問題なんだよ。それに幼稚園だって、つねにうるさくしているわけだから、幼稚園が、うちを騒音で訴えるということはないんだよ。兄貴の部屋でならしているヘビメタが、園舎なかでどのくらいの音で聞こえるのかわからない。けど、園舎の中で絶叫している子供の声を考えると、そんなにでかい音では、聞こえないんじゃないかなと思う。ともかく、よそのうちで聞こえるヘビメタ騒音と、俺の部屋で聞こえるヘビメタ騒音は、違うと思う。幼稚園と僕の部屋の距離というのは、わからないけど、一〇メートルぐらいだ。一〇メートルでこの違いだ。
My brother is a Noise Psychopath 1: My brother s heavy metal noise has destroyed entire my life (Japanese Edition)
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