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    My brother is a Noise Psychopath 4: My brother s heavy metal noise has destroyed entire my life (Japanese Edition)

    Por Eiri

    Sobre

    日付のない日記型小説(散文)・手記的小説・苦悩独白型小説 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

    「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

    各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。


    「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

    サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、その単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではありません。

    サイコパス(精神病質者)も同じだ。「平気で嘘を付く人」「なにを言ってもまったくつたわらない人」「自分がやったことなのに、やったつもりが生じない人」が、兄だったらどうなるかという話だ。そういう「困った人」が家族だったら、どうなってしまうのか? どういうことが起こるのか? ずっと毎日毎日やられ続けたらどういう人生になってしまうのか? という話だ。だから、そういうことに興味がない人は読まないほうがいい。
    サイコパス(精神病質者)の人権じゃなくて、サイコパス(精神病質者)のまわりにいるひとの人権はどうなっちゃうかというはなしなんだよ。「困った人の精神分析」に興味がないひとは読まないほうがいい。サイコパス(精神病質者)と一緒に住んでいたら、どうなるかということについての「愚痴」だから。
    臨床心理学、異常心理学、精神分析、騒音ストレスによるうつ病・心的外傷後ストレス障害などに興味がある人だけ読んだほうがいいと思う。困った人がヘビメタを鳴らすことに執着したらどうなるかという話だ。愚痴だ。

    太宰治や芥川龍之介といった昔の暗い小説が読める人じゃないと読めないと思う。「カラマーゾフの兄弟」や「罪と罰」が読める人なら、読めるかもしれない。昔の暗い小説(純文学)が好きな人向け。逆に言えば大正・昭和の暗い小説や「カラマーゾフの兄弟」が読める人なら、読めると思う。

    小説にしなければならないという事情がある。三島由紀夫の「仮面の告白」と同じだ。
    リトマス試験紙としては、中上健次の「十九才の地図」を読める人なら読める。「十九才の地図」だって、全面愚痴小説だからな。
    かつて岡本太郎は「芸術は爆発だ」と言った。
    「小説は爆発だ」とぼくは言おう。
    岡本太郎はまた「見た人がむっっなんだこれは!と思わないような芸術はだめなんだ」みたいなことを言っていたと思う。
    「読んだ人がむっっなんだここれは!と思わないような小説はだめなんだ」とぼくは言いたい。
    愚痴!!!暗い小説!!!大爆発!!
    内容抜粋を読んで興味がわかない人は読まないほうがいいでしょう。
    以下内容抜粋
    ●国語は常識度テスト。思考力や独創性なんてというのは関係がない。
    ともかく、俺はここまできちゃったわけなんだよな。なんだかんだいって、ここまできちゃった。だから、この過去は消せない。それから、劇的に体力が復活するということもないと思う。なんでなら、もう、加齢が問題になる年齢だからだ。爆音ヘビメタ騒音をやられて、本当に、体力が落ちた。これ、この間、レンタルビデオを返しに行った時に感じたことなんだけど、本当に、体力がない。絶望感の中で、ふらふら、動いているという感じだ。で、「きゅーーっと」する。「きゅーーっと」するというのは、他の人にはわからないかもしれないけど、腹が痛くて、憂鬱な感じだ。強烈な鬱が襲ってくる。本当、爆音ヘビメタで、いつもピンチだったな。入学試験の朝は、昨日までの積み重なったヘビメタ騒音で、ピンチなんだけど……そういう感じだ。負け戦に行く朝みたいな感じだ。きゅーっとくるね。本当に、殺して、排除しておけばよかった。ずっと毎日、一時間、二時間、三時間、四時間、五時間、六時間、七時間と、サイコパス音波を聞かされ続けて、苦しかった。あれが鳴っているあいだ、なにもできない。


    国語に関しては言いたいことがあった。小説などの文章に関する「問題」で、「この時の、まるまるさんの気持ちとして、最も適切なものを選べ」というような「問題」がある。かりに、このまるまるさんというのを、五代さんということにしておこう。そうすると、五代さんの気持ちというのは、この世に存在しない。

    なぜなら、五代さんは小説の中の人物だからだ。作中の人物の「その時」の気「なんて、この世にあるわけじゃないのだから、あるいは、この世において、過去、認知されたものではないのだから、なにが最も適切なのかは、決められない。作中の人物の場合、正解はこの世に存在しない。作中の人物なんてこの世にいないのだから、この世に存在しない人の「気持ち」などというものは、個別具体的に存在するわけがないということだ。

    これが、実際に存在する人物で、あの時は「こう感じた」という記憶があるのであれば、それが、正解になる。つまり、その人物に実際に聞けば、どういう気持だったかがはっきりする。正解はある。作者が、自分の体験について述べた文章であるならば、「この時の五代さんの気持ちとしてもっと適切なもの」は、擬似的に存在すると言っていい。ようするに、作者が五代さんで、五代さんの人格を借りて、その時の気持ちを表現しているわけだから、作者が、この時の五代さんの気持ちは、こうだ」ということを言えば、それが、自動的に正解になる。

    しかし、正解は作者が決めているのではなくて、出題者が決めている。リソースははっきりしないけど、作者本人が、国語の問題を解けなかったというのがある。正解できなかったというのがある。作者本人が、自分の文章を使って、作られた問題に正解することができない。……これは問題だろ。その作者が、五代さんが出てくる小説を書いたとする。その小説を使って、国語の問題を作る。その国語の問題に、作者が答えられない。あるいは、作者が選んだ選択肢が、正解ではないということがある。まあ、これは、リソースがはっきりしてないんだけどね。人から聞いた話だから。けど、そういうことは、あり得ると思う。
    先の考えに立てば、作者が「この時の五代さんの気持ちはこう」と決めれば、それが正解になる。けど、実際には、作者のそういう考えは、正解とは関係がないことになっている。多くの場合、作者に「この時の五代さんの気持ちはどういったものなのでしょう」などと聞いてから、問題を作るというわけではないからだ。出題者が、「この時の五代さんの気持ち」を決めている。

    じゃ、出題者は、絶対的な力があるかというと、そうでもないのだ、もちろん、正解を決める力がある。けど、それは、多くの人が納得するような正解でなければならないという、縛りがある。だから、出題者が、勝手に考えたことが、正解になるというようなことは、大抵の場合、注意深く避けられている。

    俺が、なにを言いたいかというと、ようするに、「五代さんのこの時の気持ちとして最も適切なものを一つ選べ」といったような問題ではなくて、「五代さんのこの時の気持ちとして最も常識的なものを一つ選べ」という問題に言い換えたほうが良いのではないかということだ。

    出題者が考えている正解というのは、常識的な人だったら、絶対にこう思うはずだというような信念に基づいた正解なのだ。この文章を普通に解釈すれば、……この作品のこの部分を普通に解釈すれば、多くの人が、「こう思うだろう」と思えるものが正解になる。多くの人が、こう思うだろうと考えている人は、作者じゃなくて、出題者だ。出題者の頭のなかで、たぶん、普通の人なら、絶対にこう解釈すると考えられているものが、正解として、選ばれる。正解になる。

    だから、出題者が常識的に考えて、多く人が、こう解釈するだろうと思うことが正解になる。「多くの人」というのは、実際に存在しているわけなんだけど、……出題者の他人として、実際に存在しているわけだけど、ここでも、実際に存在している作者以外の人の実際の意見は、関係がない。関係があるようでない。出題者の中に存在している「他者」のイメージだけが問題なのだ。他者がこう考えるだろうと思っている人は、ひとりで、一つの頭を使って考えているだけだからだ。

    俺は、ここのところの整理がつかなかった。誰かが……国語の教師がいいんだけど……このことについてちゃんと認めてくれたら、俺は、気持ちの整理がついたんだよな。いちいち、踏み絵を踏んでいるような気分にならなくてよかった。俺にとって、普通の考えに基づいて……つまり、普通の常識に基づいて国語の問題に答えるというのは、まるで踏み絵を踏むようなもなのだ。ものすご
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