ときどき詩がでてくることがあった。ふっとそれはでてくる。根源的な意識のうずきというようなものが、詩として表れるのではないかと思う。そういうものだから推敲などするものではないとも思うが、書かれることによって、より見えてくるものがあれば、直しは意識の確認作業といっていいのかもしれない。
もの思うとき、そこには言葉がある。
言葉の裏には意識の象徴や比喩が、詩には自ずと生ずると思う。
とても個人的なことであっても、言葉になるとき、言葉という衣をまとわなければ、詩は成立しない。表れる以上は言葉の制約から脱することもできない。
まとわれた言葉の衣のなかには、意識という実態のごときものがあるのだろう。言葉以前といってもいい。詩が詩たる所以がそのあたりにあるのではないか? とも思うのである。
こうして表れた詩は、二期に分かたれる。
一期は1979年から1988年。
二期は2001年から2006年までである。
極力書かれたときのままに、ここに記される。
※「阿頼耶」とは唯識における阿頼耶識に依る。同心円上で表される意識構造図にあって、もっとも中心に位置する識のことである。
sisyuu arayanotabibito (Japanese Edition)
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