【復刻版の原本】
この電子書籍は、以下の書籍の版面を複写し、シミ、ヤケ、活字のかすれ等をできるかぎり修正し、読みやすくした復刻版です(版面固定型)。
重光葵「巣鴨日記」(文藝春秋新社 昭和28年5月10日発行)
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【解説】
重光葵は戦前から戦中、戦後と外交官として活躍し、1945年(昭和20年)8月、東久邇宮内閣で三度目の外相となり、首席全権として降伏文書に調印しました。戦後はA級戦犯として服役しましたが、その際の巣鴨拘置所での4年7カ月に渡る獄中生活での日記が「巣鴨日記」です。親英米派で中国やアジアでの日本の行動に関して良識ある批判的言動をしていた重光が、なぜA級戦犯になったかというと、つぎのような経緯によるものです。
「外相辞任後は、極東国際軍事裁判における外務省関係容疑者の弁護の準備を進めていたが、1946年(昭和21年)4月13日に来日したソ連代表検事のS・A・ゴルンスキーがジョセフ・キーナン首席検事に対して、重光が第二次世界大戦中に東條内閣、小磯内閣で外務大臣を務めたことに対して、重光をA級戦犯として起訴するよう強硬に要求してきた。当初、GHQは重光を戦犯として起訴する意思は皆無で、キーナンをはじめとするアメリカ側検事団も強く反対した。しかし、当時のアメリカ民主党政権は「要求を受け入れられないのなら、裁判に参加しない」というソ連側の揺さぶりに屈する形となり、マッカーサーも要求を容認さぜるを得なくなった。結局、4月29日の起訴当日に逮捕起訴され、1948年(昭和23年)11月12日に有罪・禁固7年の判決を受けた。裁判においては、高柳賢三・ジョージ・ファーネス両弁護人の尽力などもあって、その判決は禁固7年というA級戦犯の中では最も軽いものとなったが、日本だけではなく当時の欧米のメディアも重光の無罪は間違いないと予想していただけに、有罪判決はソ連を満足させるためのGHQによる政治的妥協であると評する声も多かった。事実、当時の巣鴨プリズンで憲兵を務めていたブルーム大尉は「驚いた。貴下の無罪は何人も疑わぬところであった」と憤りを表し、ケンワージー中佐などは「判決は絶対に覆るはずだ」とまで述べていたという。4年7ヵ月の服役の後、1950年(昭和25年)11月に仮釈放されている。連合国と日本の講和条約の発効後、講和条約の規定に基づいて、日本政府と極東国際軍事裁判に参加した全ての国の政府との合意により、恩赦により刑の執行を終了した。」(ウィキペディア)
原本の帯では、「ここで勝者は敗者を厳重に監視し、旧敵に対する仮借なき裁きが進行した。顕官重臣も弊衣を纏って食器を配り、孫のように若いGIのハバハバという頤使に甘んじた。勿論東條も、平沼も例外ではない。著者は獄中四年間鉄枠の内と外を、裁く者裁かれる者を終始冷静に眺め、赤裸々に記録した。初めて公刊される本書が之である。」とあります。現在、古書としても入手が難しい貴重な記録ですが、複写した復刻版を電子書籍として発行するものです。
【ご参考】
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Sugamonikki (KyorinsyaBunko) (Japanese Edition)
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