「国師」という言葉を御存じだろうか。
朝廷から仏教の高僧に対して贈られる尊称のことである。この本の主人公、三上照夫は、国師号を授与されたわけではないが、ひそかに「昭和天皇の国師」と呼ばれていた。天皇の相談役といった意味で、三上を知るごく一部の人がそう名付けていたのである。
三上照夫は昭和三年四月に京都に生まれ、平成六年一月に逝去した。
十七歳のとき陸軍に志願し、台湾沖の特攻作戦に出撃、重傷を負って療養中に敗戦を迎えた。帰還後、人生の意味を求めて、臨済禅と古神道、キリスト教神学を探求し、厳しい修行を積み、独自の境地を切り拓いた。ふとした縁から、昭和天皇のご進講役に抜擢され、昭和五十一年から昭和六十二年まで、天皇の私的な相談役を務めることになった。
御進講の内容は、記録が一切ないから不明であるが、遺された膨大な講演録や「斎場(ゆにわ)」と呼ばれる降霊会の模様を記した記録などから、おおよそ推測することができる。
敗戦後の日本は、矜(ほこ)るべき歴史と伝統を見失い、米国の個人主義的、物質主義的な価値観と制度の仮面をかぶらされ、クラゲのように方向感覚を失い漂ってきた。三上は、それを憂い、新日本の進むべき針路を明らかにしようと孤軍奮闘した。
三上は、松下幸之助の私的顧問、住友泉会の顧問などを務め、求められれば、佐藤栄作、園田直など有力政治家にも助言を行った。同時に、仙台、東京、富山、名古屋、高松などの地場の経営者を相手にほぼ毎月講演を行った。内容は、経営管理、指導者論、人間論から兵法論、憲法論、国体論まで多岐にわたるが、彼の思想の根底には「生命体系」に対する深い洞察が一貫して流れており、家庭、企業、国家をそれぞれ発展を求める「生命体」とみる生命哲学を説こうとした。経済中心の社会主義や資本主義を超える、古くて新しい大和の共同体をわが国に造り、それを第三文化論として世界に発信しようと呼びかけた。しかし、「革新に非ずんば学者にあらず」という当時の言論界では無視され、独学者を軽視する大学アカデミズムでも評価されず、このため彼の名は一般に知られていない。
本書は、知られざる賢者、三上照夫の生涯と思想を、その時代の思潮を背景に体系的に紹介しようとしたものである。
TENNOU NO KOKUSHI: KENJA MIKAMITERUO TO NIHON NO SHIMEI (Japanese Edition)
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