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    What is spiritual value Part1 (Japanese Edition)

    Por Koujun Kobayashi

    Sobre

     人間という存在は「価値を求める存在」と定義することができます。これは「どんな人間であっても価値を求める根源的欲求を持っており、価値を求めない人間は一人もいない」という意味ですが、そうでありながら「価値」という概念を徹底的に考えたことがある人はほとんどいないと思います。
     この本は2007年5月に月聖出版から刊行した紙の本『精神的価値とは何か』の第一章を電子化して増補加筆した内容ですが(15年1月に「黒田投手広島復帰」の話を加筆)、私はこの本を書いていく中で「価値」という概念を徹底的に分析し、その結果「実践するのは難しいが、少なくとも理論上はどんな状況からでも常に価値を実感する(幸福感に満たされた人生を送る)ことができるかもしれない」という手応えを得ることができたものです。
     ただ、こうした「どんな状況からでも常に価値を実感できるやり方」を紹介した内容も含めた『精神的価値とは何か』という本はほとんど売れず、読まれた方からの反応もほとんど届かなかったので、著者として「自分では今まで誰も書いたことがないような画期的な本だと思ったのだけど、そうでもないのかな」という気持ちになっていたものです。
     ところが、それから8年の歳月が経つ中で、この本が売れなかった理由が明確にわかるようになったものです。この本の7節では「価値が実感できるやり方を自分のものにすることは、金やダイヤモンドを高いお金を出して買わなくても、次々と自分の力で作ることができることと同じ」という言い方をしていますが、もしこれが事実であれば、そうした内容を理論化したこの本は「価値を無限に作り出せる打ち出の小槌のような本」と変わらないと言えるため、「世間に広がってメジャーになったら世界のバランスが崩れてしまうため、何らかのストップがかかったのだろう」(少なくとも、そうした可能性がある)ということです。
     これは電子書籍『善光寺2』で触れた視点ですが、日本の漫画の中で「人間があこがれる特殊能力」は様々に描かれるものの、「お金を無限に作り出せる打ち出の小槌のような能力」はまず描かれないところがあり、それは「そういう現実世界のルールとは根本的に合わない能力を物語に登場させたら、リアリティーがなくなって物語が成り立たなくなると判断されるから」と言えると思います。
     その意味で、この「価値の打ち出の小槌」とも言えるこの本は、メジャーになったら世界のバランスが崩れてしまうため、「メジャーにならないことが宿命づけられている」と言えると思います(万が一この本がメジャーになってしまった場合、「消費をしなくても価値を実感できる人が増えてしまう」ことになるので日本経済が停滞してしまうことは確実)。

     こういう話をしても「何を言っているんだ?」という感じでピンと来ない人がほとんどだと思いますが、「本当にそういうヤバイ内容の本か確かめてみよう」と思われた方に対して一つ言っておきたいのは「この本の内容を理解できたら価値観が変わってしまう」ということです。例えばこれを書いた私自身は「それまで価値を感じていたものに対して価値を感じなくなってしまう」という現象に見舞われたことがあり(ただ、本当に好きなものは変わらず残りますが)、読む前にそうした「リスク」も覚悟していただければと思います(こうして事前に警告した以上、それに対する責任は一切取りませんので)。
     この本で書いた話は「まだまだ理論が未熟だったり、発動条件が厳しい」ところがありますが、それでいて「価値を無限に作り出すことは理論的には可能」ということを知っているだけでもまったく違うと思います。それだけの内容を持った本ですので、安易な気持ちで読んでもらうことを防ぐために価格を上げて2500円としてみました(状況次第でさらに上げる可能性もあります)。
     『善光寺2』という本にも、この『価値とは何か』と同様に高額の価格にしていますが、それは「リスクもあるヤバイ本ではあるが、知っていると知らないとでは大違いの内容」が含まれているからです。参考になれば幸いです。

    『精神的価値とは何か』シリーズ(全3巻)
    第1巻「価値とは何か」
    第2巻「現代の日本は人類が追い求めてきた理想郷である」
    第3巻「お金で幸せは買えるか」

    まえがき ~この本は「価値の打ち出の小槌」のような本で、メジャーにならないことが宿命づけられている
    1 幸福という抽象的な概念を理解するために必要な「価値を実感すること」という定義
    2 価値とは固定化して存在するのではなく「人々の実感の程度で変化していく」もの
    3 「多数の人の共通認識としての価値」と「実感が伴う価値」のギャップが苦しみを生む
    4 価値の実感が本物かどうかは「一時的に終わるか長続きするか」の違いとして表れる
    5 とらえにくい精神的価値の高さを決める基本的要素としての労力、制限、対立概念
    6 黒田投手の決断の背後に「広島が自分の価値を認め、育ててくれなければ今の自分はなかった」という思いがある
    7 広島ファンの喜びの裏に「黒田復帰を8年間待っていた」「20年以上優勝できていない」ことに対する思いの蓄積がある
    8 「食べ物の価値が実感できず粗末にする風潮」は労力と制限の視点から説明できる
    9 価値が実感できるやり方を自分のものにすることは「金やダイヤモンドを次々と自分の力で作る」ことと同じ
    10 価値の実感を得るための実践論としての「実感としての重要性の認識」「労力の覚悟と意識」
    11 制限の意識で大事なことは「外からの制限は価値の実感のため必要」と受け止める姿勢
    12 存在そのものがマイナスと思える事柄に「対立概念として利用する」という発想を
    13 黒田投手の決断が大きな価値になった要因に「物質的価値に惹かれる意識による対立概念効果」がある
    14 価値を実感する実践は奥が深いため「形を真似するだけでは成果は出ない」意識を持つこと
    15 物質的価値観から離脱すれば価値の実感ができる範囲を大きく拡大させることができる

     ここで、この「動きがなくなって常態化すると価値の実感が得られない」ことを別の側面から考えてみたいと思います。
     動きがなくなると実感が得られないということは「常態化したところに動きを作り出せれば、実感は得られる」ことをも意味します。大事なことは「実感が得られないこと=価値がすでになくなっていること」というとらえ方をするのではなく、「実感が得られなくても本来の価値はなくなっておらず、常態化しているだけ」という認識を持つことだと思います。本来価値があるものであれば、今価値の実感ができなくても工夫次第でそれができる可能性があるのです。
     「川の流れは土地の高低差などの要素によって生まれている」という言い方もしましたが、普通はどうしても「土地の高低差がなくなってしまうと川の流れは生まれない(価値の実感はできない)」という認識になってしまうものです。それに対し「流れというものは土地の高低差だけでなく、人為的な努力で作り出すこともできる」という発想が必要だと思います。
     価値が実感できるやり方を自分のものにして常に実践できれば、それは「どんな状況からでも価値の実感ができる」ことにつながります。このことは「金やダイヤモンドを高いお金を出して買わなくても、次々と自分の力で作ることができる」ことと同じような意味になるのです。
    ~「9 価値が実感できるやり方を自分のものにすることは「金やダイヤモンドを次々と自分の力で作る」ことと同じ」より
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