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    youtei: tosa no ontyan no hitorigoto (Japanese Edition)

    Por Kanzaki Kougousen

    Sobre

     人生住亡、ゴーイングコンサーンに在って、諸兄が人生に於いて全気(ぜんき)斉(ひと)しく密雲払い、貴慈遠大な利益を得られる事を願い、劈頭(へきとう)に要諦(ようてい)と題した。
     国家、企業、及び人生の経営に在って、持続的幸福、持続的健康、持続的利益、即ち永続的勝利は、何(いず)れに定まるか。
     人生、事業を永続的ゴーイングコンサーン足らしめる為に、何を知り、何(ど)のように行動しなければならないか。
     将来と言う未開の真空地帯、不安定不確実な未来に勝者頼(よ)る原理を知り、不安定不確実な将来を、安定、確実な地図に書き換え、変換し、人生、事業が福勝へと資する事を、資本主義、民主主義、大衆人間本体とは何かと、その行動、原理、存在の興衰を知る事によって、万福が始源を掴む事を目的として論す。
     我等は資本主義経済のもと、民主主義体制に生活し、人生を預けている。この体制が我らの人生を流し、運ぶのだ。故に資本主義、民主主義とは何か。その行動は、如何なる規範に基づいて為されるのか、放縦か、確立された、一定の定理を形成するものか、その原理、行方を知る事が第一義である。存在総て科学性を持つが、故に在る。存在全てが科学に支えられサイエンスの及ぶところである。
     宇宙、雲、オールトの涯に何があろうとも科学の空隙故、眼視外眼視、科学によって視る。それは小宇宙、人の心に迄及ぶ。
     アルバート、アインシュタインは「何(ど)のようにして神が、此の世を創造したのか、その原理を知る事だ。他は小さな事だ」と言ったが、そうではない。孔子、孔門十哲、愛弟子顔回は早逝した。賢なるかな回や、一箪の食(いったんのし)、一瓢の飲(いっぴょうのいん)、陋巷(ろうこう)に在り!と、質素、倹約の生活を孔子は誉めた。栄養失調状態の食生活を誉めたのだ、愚かな事だ。
     七福神の布袋様は十ヶ月の妊娠腹し、めでたくも、ありがたくも無い。不健康の代表である。人は千差万別と言うが、そうではない生体、人に限定されない、生体は上中下と常に分別され、中、並、標準、最も多しとする定理を持つ。
     孔明、信玄、陣立てに在って共に同じ死に様をした。呪術が如く、孫子、標榜する二人であったが、親心に迷い、そして義に迷い、最期迄兵法を実行出来ず、終りを保てなかった。竹林が歌仙、阮籍(げんせき)、盛唐の詩人、杜甫(とほ)、李白(りはく)、共に酒を好みとあるが、そうではない。恒桑恒産(こうそうこうさん)無き故、時世より逃傷(とうしょう)し、酒に手を出すのだ。
     安国寺恵瓊(あんこくじえけい)は高声頻(しき)りの信長を高転(たかころ)びに転がるであろうと、予言したが、碩学大身恵瓊(せきがくたいしんえけい)でも秀秋の裏切り西軍敗績を予見出来なく、殺された。
     信長、龍馬共に同じ死に様をした。人間は遺伝子設計通りに、脳内に放出される化学物質の化学作用に繰られる、繰り人形である。己が思い判断し、選び行動したのでは無い。生体内化学作用に、思わされ、判断させられ、選ばされ、行動させられるのだ。勇気ある個性、相似合同の遺伝子を共有するが故に、相似合同、脳内化学物質の化学作用に選ばされ繰られ、相似合同の死に様をしたのである。
     氏より育ち、とは言うが、そうでは無い。三流大衆は上記脳内化学物質の化学作用に繰られ、この化学作用の影響より抜け出せず、遺伝子設計通りの生涯を送るのである。16世紀、アラブ源種にする、競走馬、優美、走る芸術品サラブレッド、何故血種血統を重んじるのか。
     動物に並列する人間も競走馬同様、例外とは成り得ないのである。三流大衆が人生総括する時、得失成敗、粗、全て遺伝子に正比する。
     己を知るとは遺伝子を知る事である。資本主義は近代経済ケインズに従って運転されるが、ケインズの効用と限界を知らねばならない。
     民主主義は並標準、最も多しとする三流人間に支配された三流政治形態である。
     国民皆高学歴化とは、個性無い国用足り無い高学歴は無駄な社会コストを形成し、社会経済凋落のマッハステムとして機能する。30年~50年前、日本高度経済成長期、私達の父母は高学歴を持っていたか、否、持っては無かった、従って高度経済成長と高学歴は無縁である。高度経済成長の用件は数項ある(拙著)
     法とは一面、あれはやってはいけない、此はやってはいけない、と言うしょうも無い規制である。法が犯罪をつくる。シートベルト法がなければ、シートベルト犯罪は無い。法の煩瑣な制定は規制であって国民活力を減退させ、国家衰退の要因となる。何が先進かは大いに疑うが先進零落れ国家の法律数を数えてみよ。法典は必ず分厚い。法典が厚く成る事、それは国家亡国の兆しである。
     大衆小人の親は教育に於いてさえ、子に殺され、子殺しをする、金属バットで殺される親、子殺しをする親、此等、親は小人自らの小鋳型に塡め込もうと、諦める事を知らなかった親である。教育とは諦めて諦め無い。自然に諦められる迄、諦め無いのである。
     利益、三流大衆はその手に掴む銭、利益を我がの能力で得た利益だと、三流性故相変錯誤するのだ。世に存在する利益は二種類ある。第一は固有の絶対能力で得た絶対利益であり、第二は時代が与え儲けさせて呉れた。その時代が去れば消え行く利益である。存在する利益の八割が三流大衆が手にする移ろい、消え去る、この利益である。今日建設土木も移ろい、昔日の面影は無い。
     高物価国家から低物価国家への企業流出、雇用喪失、インフレ国家からデフレ国家への移行。市中金利の低下、株価下落(株価四万から現壱万五阡円上)、所得低下、リストラ、失業、自殺増、人口減少、消費減少、企業淘汰、国民皆高学歴化の歪み、犯罪増、法律増、国民の小車軽四への乗り換え等一連総て連動する資本主義衰退の法則である。
     ウイリアム・シェークスピアは言う、人が生まれて来る時は「オギャー」と泣いて生まれ来る。何故だ「阿呆ばかりの世の中に生まれて来た事を悲しんでな」と。
     生体原理、並標準、最も多し、大衆の行動原理は雄、雌、利益を心の座標軸とし、この定理と常に共にあり、この法則に従って動く。例えば、国家、家、組織、子孫の為によい事だが、すぐ貴方の利益にならない道をAとしよう。国家、家、組織、子孫の為に、よくないが、すぐ貴方の利益になり、しかも1,000万だ。この道をBとすれば、並、大衆は必ずBを選ぶのである。
     国家、家、組織、子孫の為によくなくても目先の利益Bを偶衆は、必ず取る。並標準、最も多しこの前記偶衆が選挙権を行使し、国家を支配しているのだ。国家の行方は最早、自明であろう。
     手近の性、目先のカネに繰られ、災禍、不幸も、雄、雌、利益に拘束され、この暗黒より抜け出せない己が引き寄せるのだ、偶然では無い。
     総ては、並の努力、並の洞察力、並の自己犠牲能力、しか所有しない生体構成並標準、最も多しとする生体原理に起因し、反復繰り返される大衆の過失、懊悩(おうのう)はこれより発するのである。
     良識を踏まず、刺激を求め、小道、裏道に寄る大衆小人の俗性であって大衆小人の生涯とは人生ではなく、獣生であって、生きていけるのでは無い。息をしているだけだ。
     手近の性に繰られ、目先の銭に繰られる、繰られ獣生で終わる。
     現代に生きてる限り、小知小行の競争である。小知小行専従ではいけないが極める。勝ちたければ、安定を得たければ、総ての道に通じる手法、ナラトロジー探り、アレグロ、モデラート、ヴィヴァ―チェと郷戸を尋ねよ。
     造花三神、天然化育する花の体、外邪、私欲忍ばず、病、自ら求め暗向し、天年を己が削ぐ衆人が獣性。
     万世長春、寿命の内、養生が道に在る。長者は己が作る。長寿も又己が作るのだ。寿命、短ければ用なさず、無念徒食、それで終わりだ。万戦万歴が人生経験を歴て、人智、最も、凝縮した年歳に至って、再び立つ。成熟の人生に得るもの最もおおし。
     嘗(かつ)て、知人の女性が零(こぼ)した「若き日の美貌と今の頭があれば、いくらでも得れたのに、気力尽き、ああ私には寿命も尽きた」と。
     女性の轍(わだち)踏んではならず、君子が節(せつ)、養生の道、必ず行い、「暦(れき)」寿命歳月、必ずのばしておけ、そうであろう、人生大計、長寿に依る。
     不老を己が作るのだ。私は120年は生きる、然(そう)ヘミングウェー、ハメット、ハードボイルド、地で行く然(そう)玄玄と。三流民主主義、憂愁資本主義、経済学極まり、術無く、何をすべきか否かと逡巡展転する。資本主義凋落し、社会経済破亡、世の時勢、落魄れ移ろいに他者と共に不安がってはいけない。全ての法則が人の行方を教えているではないか。隣接、朋友が失業、首吊り、行方不明になろうとも、浮世下って数十年、貧人貧乏日本に左団扇の万風機でいるのだ。
     祈ろうと願おうと、全ての行方が万古の法則通りに動くのである。諸兄が天地懸隔に実相を覆い隠し、静かに玄黙し横たわる大理を解され、小道に寄らず大道を踏み、陰雲風雨、事変に迂回し、人間本壊を、奏するは凱歌を、億万、福勝される事を願う。
     花は綺麗(きれい)だが化粧をして男を待っている女と同じではないか。実相はマスキング妖粧され万有が必須的制一下、徐(おもむろ)に忍び寄る。知人に「花見に行きますか」と尋ねられた。ストレスが束になって来ようとも、私は心の中でいつも花見をしている、桜雲、我と共にある。(男帯(おとこおび))を締め(男座敷(おとこざしき))に(男さび)行く、大魚、支流泳がず。悠然と帰る夜空を見上げれば、いつも満月だ。せこい三日月では無い。家に着けば千両、
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