すでにKindleからエッセイ・評論集「無償の義務は言葉の遊びか」。文芸評論集「小林秀雄・無能者の光栄☆小林秀雄と福田恆存の信頼」。文学演劇評論「役者という存在 宮口精二~チェーホフと福田恆存の劇世界」の作品で静かな注目を受けているが、著者の宮入弘光は文芸評論家でも演劇評論家でもない。19歳の時から26歳の時までに書いた小説・戯曲・放送劇集「天女と死骸」、宮入弘光の文学のベストスリの中に選ばれた。最近、「宮入弘光の文学の軌跡」が電子書籍として発売され、紹介されている。今回、2冊を3冊にして改めて、販売される。
この作品で作者は、現代における神話の創造を意図している大長編小説である。これはけっして誇大妄想による言ではない。
この作品によって、宮入弘光は幼い時からひそかに目指してきたの文学の道を一筋に上り詰めてきたことを示している。
84歳の時長編小説「夜の子たち」の構想抱き、半世紀後にして、1350枚の作品を書き上げた。――僕はこの作品を書くために生きてきたようなものだな]と、身近な人にため息をつくように言って苦笑している作者である。いま、奇妙というか、不思議というか、あるいは不運とでもいうか、彼の尊敬する文学者は一人もいない。さらに、文学を語れる友人も、独りも身近にいない。
83~84歳でこの大長編小説を書いている作者の、いつも見凝めていた2冊の日本文学があった。その一冊は夏目漱石の「明暗」であり、もう一冊は小林秀雄の「本居宣長」であった。
文明開化から始まった近代日本から生まれた、未来の日本文学のあり方が未完ではあれ、巨大に存在しているのを、戦後の混乱した多様な作品の誕生の中で、宮入弘光の目には微動だにもしていなかった。小説という形式ではなかったが、その混乱した社会、文学界の中から、彼、宮入弘光にとって同じ巨大な作品として、「本居宣長」が昭和の終りに誕生してきた。……もう一冊、書き添えておきたいのは、作家平林たい子の昭和28年に光文社から2冊本として刊行された「砂漠の花」だ。ここには近代の日本の未成熟な社会の中で、自分の赤裸々な女流作家として成長していく歩みがっつられている。自然主義文学、私小説の範疇を超えている。この2冊を平林たい日は目の前で署名して著者に下さった。
……長いこと宮入弘光は日本の文学について次のように考えていた。
日本に劇文学は存在しない。悲劇と言える小説が誕生しない。悲劇的事件は自らが己の運命を決定して生きる「悲劇」ではない。それは未来を生きる人間に勇気を与えない。持続する生の喜びを体験できない。それは現代のわれわれが神話を失ったためだ。 ――今の世に、勧進帳の弁慶は存在可能なのか?――人間の信頼のないところに、弁慶は存在しない。……いま神話を書くには、「天女」は欠かせないのではないか。しかも、人間になった天女が、どうしても好きな人に会いたくて、天女になることを拒否して、もう一度人間になることを選択する。……そうした「人間」であることを選べる天女でなければ、悲劇は起きないだろう。
この「創作ノート」の冒頭に「言の葉」と題して、次のように書いている。
Ж
この作品で、作者は父娘かも知れない娘と、父親といってもいい年齢差のある惟能捷司と来年成人式を迎える鴫之繼夢子の二人を通して、理想的な父と娘の関係を書こうとしているといつて、間違いはないようである。……ようであると作者が書くのも、奇妙なことかもしれないが、二日前、ふっと目覚めて思ったからだ。
Ж
人は言葉によって生きる。ハムレットのせりふを思い出しているからではない。言葉は人を唆す。その通りだ。しかし忘れてはならない。人は動から静へ……、ということは、静はどうなくしては存在しえない事実だ。そのたえざる往復が、人の生きる道だということだ。人の生涯は、そのたえざる運動の中からしか、姿形を表せない。物を書くものは、それを見失っては、成り立たない。
Ж
……もし、何も待たない、……待つ対象が存在しないとしたら、人間は生きたことにはならないのか? 仮に「待つ一生」がありうるとしたら、それはどんな人生なのか。眼に浮かべられたら、……舞台で役者が演じられたとしたら、それはどんな「劇」が可能なのか。
今の私の眼に浮かべられることが出来るのは、「待つ」相手が居ないことの証明という、辛い人間の生き様でしかない。
「天女と死骸」の紙の本の末尾に載せた「夜と子たち」の予告を紹介しておこう。木偶、風来と名乗る二人の架空対談である。
木 偶 作者は、現代の中で神話を描こうとしているんだって? どういうことですかね。
風 来 人間が、死ぬこと……、死へ向かって生きること、それがどんなに幸福か、それを書こうとしているようですね。
木 偶 いかにも、われわれを「木偶」「風来」と自称させて平気な人の考えそうなことだ、と言えるけれど、死へ向かって生きる幸福って、考えられるのかな。
風 来 ぼくもそう思いますけれど、どうやらこの作者は、若い、というより幼い時から、毎晩、夢の中で生きてきた体験を持っていますね、その辺に、手懸りが、ありそうです
ね。日常の中で生きることと、夢の中で生きること……。
木 偶 その二つを備えた球体、それが人間の肉体。人間はその肉体によってしか、生きることは出来ないという、極めて当たり前な認識……。それがこの作者の「神話」を生む大事な前提?
風 来 そのようですね。なにしろ、女を天女や白鳥にして空へ飛ばす作者だから、今度も、成人になる前の美少女が、大切な人の手を引いて、舞い上がらせるかもしれないもしかしたら、われわれも……。
木 偶 そうなんだ、舞い上がらせて貰えるか、あるいは谷底へ落とされるか。(苦笑)。でも、美しい天女に手を惹かれて、……満更、厭でもないな。この歳になって見ると。
(木偶と風来、苦笑して頷き合う)
作者戯言 切っても切れない君たち、落ちるときは、未完成で、突然幕が落ちた時だよ。お互い様、で、了解のこと……。
yrunokotati: tiohennsyosetu (Japanese Edition)
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