膝栗毛シリーズ第8弾 !
夕陽亭文庫膝栗毛シリーズの八冊目です(續膝栗毛九編)。本編の後も、草津温泉等を経て、江戸に帰り着くには大分かかりそうです。続編は今後のお楽しみに・・・。
中山道を離れた彌次さん、喜多さんは、千国街道(糸魚川街道)を善光寺に向かいます。江戸時代の江戸からのお伊勢参りは、行きは東海道を上って、伊勢参宮後、京・大阪を見物し、帰りは中山道経由で善光寺に参詣して江戸に帰るのが一般的だったようです。一般庶民にとっては、一生に一度あるかないかの大旅行でしたから、この際、寄り道してでも、名所旧跡等はできる限り見ておこうということだったのでしょう。
今回も、天狗様が出てきたり、いろいろとありますが、「はては大笑ひ」となるのがこのシリーズの醍醐味。
なお、前回の「木曾街道編」では、「脚注」をつけてみましたが、本文中の「注」をクリックしても、Kindleの内蔵辞書が開いたり、ウィキペディアに飛んだりと、どうも使い勝手がイマイチのようでした(「注」を開くコツは、できるだけ「注」の上の端の方をクリックすることのようです。)。折角の読書がストレスの元になっては、これは何のことやらと、今回は「脚注」を付けることは断念しました(・・・「手抜き」の言い訳ではありませんが・・・)。快適な「注」については、今後研究させていただきたいと存じます(「いつのことになるのやら ?」)。
このふたりが江戸を出発した東海道中膝栗毛初編刊行から、無事に江戸に帰り着く續膝栗毛十二編の刊行まで、実に21年もの歳月が流れていますが、ゲームキャラならこれだけの経験をすれば、相当レベルアップしているはずですが、この二人のお間抜けぶりは十年一日、万古不易で、まさに何やらに付ける薬なしです。しかし、逆にそのことが、かえって癒やし系のゆるキャラとして人気を博した理由ではないでしょうか。うろ覚えで恐縮ですが、故遠藤周作氏は、第二次世界大戦中の何かと統制の厳しい中で、この膝栗毛を読むことで心が癒やされたと書いておられたということです。
「古文」は気楽に読めば難しくない
本書はもちろん口語訳ではありませんが、元来が当時の一般読者向けの平易な文章で書かれたものですから、お気軽にお読みいただけると存じます。(ただし、各編の「序」や「諸言」の類は「本文」と異なり、かなり凝った表記になっていますが、そこらへんは、ご面倒なら、読み飛ばされてもさしつかえないでしょう。また、木曽街道中編からは、注も付けています。
一般の読者の方にとって、古文を読む際の難点としては、①旧かなづかい、②旧漢字、③見なれない古語、の三つが三大障壁のように思われるかもしれませんが、案ずるより産むが易しで、高校の古文の授業で習ったことなどすっかり忘れていても、読んでみれば意外と読めるものなのです。もともと日本人が使っていた日本語なのですから。
「①旧かなづかい」という点については、荻野貞樹氏が「旧かなづかひで書く日本語」(幻冬舎新書)で述べておられるように、「旧かなづかい」であることをことさら意識しなければ、「四歳、五歳の子どもでもすらすら読める」ものなのです。同氏のご指摘のとおり、そもそも「新かなづかい」も、完全な表音表記にはなっていないのです。「こんにちは」や「私は」の「は」を読むような感覚で読んでいただければ、大丈夫でしょう。
「②旧漢字」という点についても、実は「振り仮名(ルビ)」という強い味方があるのです。活字化されて出版された古文には、読みにくそうな漢字には必ずと言っていいほどこの「振り仮名」が付されているので、全く支障はないといつてよいでしょう。
最後に「③見なれない古語」ですが、幸いこのような語句にお目にかかることは滅多にないといっていいでしょう。万葉仮名や変体仮名で書かれていたりすればそれこそお手上げでしょうが、「国文学の演習教材」ならともかくも、一般の読者向けに活字に翻刻された文章では、このような心配はまずありません。長文の「やまとことば」を全文ひらがなで表記されると大変ですが、たいていのものは適当な割合での漢字仮名交じり文なので、その語に当てられた漢字や前後の文脈から、おおよその意味は通じ、「楽しむための読書」であれば、こんなものかという程度でよみすすめていただければいいかと思います。
一々厳密に「翻訳」できなくても、前後の文脈からおおよその見当はつき、しかも、実際これらのディテールに関する言葉は、芝居の書き割り、背景と同様で、本筋の話自体を楽しむためには、まあ、知っていればそれにこしたことはないが、分からなくても支障が無いと言ったら言い過ぎでしょうか。膝栗毛シリーズの面白さは、時代や場所を超えたところにあるのではないかと思われます。主人公のご両人、漢字一字で表すなら「けもの偏に酒と女」それに「半可通」で、舞台はどこでもよかったはずです。
膝栗毛シリーズについて
膝栗毛シリーズは、その刊行順に、①「東海道中膝栗毛」、②「續膝栗毛③「續々膝栗毛」に大別されます(ただし、①のうち「發端」は、②の「續膝栗毛五編」と併せて①の「東海道中膝栗毛」初編から八編までの刊行後に刊行。)
①「東海道中膝栗毛」は物語の時系列順に並べると、「發端」(文化11年(1814年)刊、江戸出発以前にさかのぼって、彌次郎兵衞、北八の素性を語ったもの)、「初編」(享和2年(1802年)刊、江戸から箱根まで)、「二編」上下(享和3年(1803年)刊、箱根から大井川・岡部まで)、「三編」上下(文化元年(1804年)刊、、岡部から新居まで)、「四編」上下(文化2年(1805年)刊、新居から桑名まで)、「五編」上下(文化3年(1806年)刊、桑名から山田まで)、「五編追加」(前同年刊、山田から伊勢参宮)、「六編」上下(文化4年(1807年)刊、伊勢から伏見を経て京まで)、「七編」上下(文化5年(1808年)刊、京見物)、「八編」上中下(文化6年(1809年)刊、大阪見物)からなっています。
②「續膝栗毛」は、「初編」上下(文化7年(1810年)刊、金比羅參詣)、「二編」上下(文化8年(1811年)刊、宮嶋参詣)、「三編」から「七編」まで各上下(木曽街道、「三編」は文化9年(1812年)刊、大津から柏原まで、「四編」は文化10年(1813年)刊、寢物語村から加納まで、「五編」は文化11年(1814年)刊、加納から大久手まで、「六編」は文化12年(1815年)刊、大久手から妻籠まで、「七編」は文化13年(1816年)刊、美登野宿から贄川まで)、「八編」上下(從木曽路善光寺道も同年刊、本山から大町まで)、「九編」上下(善光寺道中、文政2年(1819年)刊、大町から善光寺参詣・本街道経由ではなく、糸魚川街道)、「十編」上下(上州草津温泉道中、文政3年(1820年)刊、善光寺から草津温泉まで)、「十一編」上下(文政4年(1821年)刊、草津から新町まで)と「十二編」上中下(中山道中、文政5年(1822年)刊、本庄より王子廻りして江戸帰着まで)で、この「十二編」で彌次郎兵衞と北八は、①の「東海道中膝栗毛」初編刊行で江戸を出立してから21年ぶりに江戸に帰着します。
③「續々膝栗毛」は、「初編」、「二編」上下(趣向は江戸神田八丁堀の裏店住まいの滑稽、いずれも天保2年(1831年)刊)に刊行され、引き続き「二編追加」の構想中、同年8月7日(日付は旧暦)に十返舍一九が逝去しました。「續々膝栗毛」には天保6年(1835年)に出版された「三編」上下二冊がありますが、これは二世一九(絲井鳳助)の作です。まさに希代の大ロングセラーといっても過言ではないでしょう。
この時期の戯作本(洒落本、人情本、滑稽本、黄表紙(漫画の元祖)等)は、地の文には文語体を残しつつ、会話のところは、当時の口語を使うようになってきています。その中でも、この膝栗毛シリーズについて特筆すべき点は、当時の各地の風土風俗、方言、歌謡のみならず、武士や商人、職人、馬士、遊女、馬士などの各種身分職種を見事に描き分けていることです。駿河の府中で下級武士の子として生まれ、若年のころから江戸で武家奉公を経験し、その後大阪に移って、町家に婿入りするなどして7年過ごし、再び江戸に移って戯作者として開花した一九でなければ、とうていこのような作品は書けなかったでしょう。なにしろ、同じ日本人同士でも、あづま陸奥(みちのく)の人と西国の人とが、それぞれお国言葉で話し合おうとしても、さっぱり通じないので、仕方なしに謡曲の語り口でようやく意思を通じ合うことができたといわれるような時代でしたから。
このシリーズの「續編」以降を読もうとすると、古書店や大きな図書館を探し回らなければならないという現状は、何とも寂しい限りです。
このたび、この「大河小説」を、何とか復活させ、東海道編の続編も含めて、やじさんきたさんが江戶に帰り着くまでを出版いたしました。このご両人に最後までお付き合いいただければ、幸甚に存じます。
夕陽亭文庫について
夕陽亭文庫は、日本の古典文学書をできるかぎり本来の旧字旧仮名を使って電子書籍化することをめざして、2014年10月に発足したものです。
Zenkoujidouchuhizakurige: Hizakurige zenshu 8 (Sekiyouteibunko) (Japanese Edition)
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