古代ギリシャの円形劇場は医療施設の一部だった。心と体、感情と精神全体の異変を「病気」として捉えた医聖ヒポクラテスの「癒しのテクネー」が現代に蘇る。(エピダウロス・スピリット)など、医療福祉史を通じて人間社会の生と死を見つめ、個々の魂に問いかける11篇
○第1章/エピダウロス・スピリット
古代ギリシャの円形劇場は、医療施設
の一部だった。ヒポクラテスの
「癒しのテクネー」が21世紀に蘇る
○第2章/古代医療伝(アショカー王
聖徳太子)
「戦争とはかくも惨たらしい行為だった
のか」 悔い改めた王は、世界史上稀な
愛と平和の実践者になった。古代インド
のアショカ王である。特に医療福祉政策
においての業績は、特筆に価する。
日本では聖徳太子がその業績に並ぶ。
○第3章/福祉僧・忍性
聖書にも登場するハンセン病は「絶望」
の代名詞だった。壮絶な差別の実態を
理解するには、想像力が欠かせない。
彼らは「非人」と呼ばれていた。鎌倉時代
の執権・北条時宗の時代に「非人救済」
に生涯を捧げた僧がいた。名は忍性。
丸顔の柔和な人物だった。
○第4章/戦国南蛮医療伝
(ルイス・アルメイダ)
大航海時代のヨーロッパ宣教師たちは、
万里の波涛を越え、世界各地に散った。
その中には西洋医術普及のさきがけと
なった、ルイス・アルメイダもいた。
彼らの医療・福祉活動に焦点をあてる。
○第5章/幕末南蛮医療伝(上)
緒方洪庵と適塾の事
江戸時代「西洋の書物を読むと目が
青くなる」とか、「西洋人に
触ると手が腐る」と噂されていた。
そんな時代に南蛮医学を学び、
大阪に「敵塾」を創設した緒方洪庵。
門下からは福沢諭吉をはじめ、
明治をつくった男たちが数多く輩出
した。高松凌雲もその1人だった。
○第5章/幕末南蛮医療伝(中)
国際赤十字誕生の事
高松凌雲は徳川幕府の使節団と共に
パリに渡った。パリ万博の会場で、
彼は国際赤十字という組織の事を知る。
創始者の名はアンリ・デュナン。
夢物語を実現させてしまった男だった。
○第5章/幕末南蛮医療伝(下)
函館戦争の事
幕府軍、薩長軍に敗れる。パリの
高松ら一行は帰国を決断する。やがて
高松は榎本武揚率いる幕府艦隊と共に
江戸を脱出して蝦夷地を目指す。
高松は敵味方の区別なく戦傷者を
治療する。
○第6章/人は情けの下に棲む
(大原孫三郎伝)
岡山県倉敷市の大原家は、江戸時代
から続く豪商だった。倉敷紡績の
若旦那・孫三郎は、東京・吉原で遊興
三昧と膨大な借金をつくる。
だがやがて自らの天命に目覚め、社会
福祉事業に着手する。倉敷中央病院
も大原美術館も、創設したのは孫三郎
である。
○第7章/心優しき文化圏
紀元前200年頃から紀元700年
までの、およそ900年間、南アメリカ
大陸のペルー北海岸には「モチェ文化」
が存在していた。木村重信・大阪大学
名誉教授の解説によると、この文化
ではすでに「ノーマライゼーション」
が実践されていたという。つまり、
視覚障害者・身体障害者・精神薄弱者
などの人々は、より神に近い存在と
して尊敬され、健常者に大切にされ
ながら、共に暮らしていたという
のである。
○第1章/エピダウロス・スピリット
古代ギリシャの円形劇場は、医療施設
の一部だった。ヒポクラテスの
「癒しのテクネー」が21世紀に蘇る
○第2章/古代医療伝(アショカー王
聖徳太子)
「戦争とはかくも惨たらしい行為だった
のか」 悔い改めた王は、世界史上稀な
愛と平和の実践者になった。古代インド
のアショカ王である。特に医療福祉政策
においての業績は、特筆に価する。
日本では聖徳太子がその業績に並ぶ。
○第3章/福祉僧・忍性
聖書にも登場するハンセン病は「絶望」
の代名詞だった。壮絶な差別の実態を
理解するには、想像力が欠かせない。
彼らは「非人」と呼ばれていた。鎌倉時代
の執権・北条時宗の時代に「非人救済」
に生涯を捧げた僧がいた。名は忍性。
丸顔の柔和な人物だった。
○第4章/戦国南蛮医療伝
(ルイス・アルメイダ)
大航海時代のヨーロッパ宣教師たちは、
万里の波涛を越え、世界各地に散った。
その中には西洋医術普及のさきがけと
なった、ルイス・アルメイダもいた。
彼らの医療・福祉活動に焦点をあてる。
○第5章/幕末南蛮医療伝(上)
緒方洪庵と適塾の事
江戸時代「西洋の書物を読むと目が
青くなる」とか、「西洋人に
触ると手が腐る」と噂されていた。
そんな時代に南蛮医学を学び、
大阪に「敵塾」を創設した緒方洪庵。
門下からは福沢諭吉をはじめ、
明治をつくった男たちが数多く輩出
した。高松凌雲もその1人だった。
○第5章/幕末南蛮医療伝(中)
国際赤十字誕生の事
高松凌雲は徳川幕府の使節団と共に
パリに渡った。パリ万博の会場で、
彼は国際赤十字という組織の事を知る。
創始者の名はアンリ・デュナン。
夢物語を実現させてしまった男だった。
○第5章/幕末南蛮医療伝(下)
函館戦争の事
幕府軍、薩長軍に敗れる。パリの
高松ら一行は帰国を決断する。やがて
高松は榎本武揚率いる幕府艦隊と共に
江戸を脱出して蝦夷地を目指す。
高松は敵味方の区別なく戦傷者を
治療する。
○第6章/人は情けの下に棲む
(大原孫三郎伝)
岡山県倉敷市の大原家は、江戸時代
から続く豪商だった。倉敷紡績の
若旦那・孫三郎は、東京・吉原で遊興
三昧と膨大な借金をつくる。
だがやがて自らの天命に目覚め、社会
福祉事業に着手する。倉敷中央病院
も大原美術館も、創設したのは孫三郎
である。
○第7章/心優しき文化圏
紀元前200年頃から紀元700年
までの、およそ900年間、南アメリカ
大陸のペルー北海岸には「モチェ文化」
が存在していた。木村重信・大阪大学
名誉教授の解説によると、この文化
ではすでに「ノーマライゼーション」
が実践されていたという。つまり、
視覚障害者・身体障害者・精神薄弱者
などの人々は、より神に近い存在と
して尊敬され、健常者に大切にされ
ながら、共に暮らしていたという
のである。