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    Douglas MacArthur (Japanese Edition)

    Por Masahiro Yamazaki

    Sobre

    ダグラス・マッカーサー陸軍元帥は、日本では敗戦直後の1945年8月にコーンパイプをくわえて厚木の飛行場に降り立った、サングラスの似合う「米進駐軍の総司令官」として有名だが、彼の軍人としての歩みは奇遇にも、アメリカ合衆国が伝統的な孤立主義の政策を捨て、積極的に海外への影響力拡張を進めた経緯とほぼ完全に一致していた。

    第二次世界大戦の期間中、マッカーサーは主にフィリピン方面を舞台に米陸軍を指揮して日本軍と戦い、日本政府が無条件降伏の要求(ポツダム宣言)を受諾してからは、東京に活動拠点を移して日本の占領統治で辣腕を発揮した。現在の日本社会を形作っている政治的状況の多くは、マッカーサーの統治時代にその基礎が築かれたもので、マッカーサーは紛れもなく、戦後の日本国の歩みに最も大きな影響を及ぼした外国人であると言える。

    だが、日本という国とマッカーサー個人との関係から、少し視野を広げて、アメリカの歴史におけるマッカーサーの役割という観点から彼の生涯を振り返ると、従来のマッカーサー像とはやや違った人物の姿が浮かび上がってくる。

    日露戦争を観戦した父から日本軍の戦いぶりを熱心に聞き、フィリピンでアメリカ的価値観に基づく近代国家の建設を父と共に手掛け、危機に直面したウエストポイントの陸軍士官学校を立て直し、1928年の夏季オリンピックではアメリカ選手団の団長として、大量のメダル獲得に貢献した男。

    第一次世界大戦では我が身の危険を顧みず、敵弾の飛び交う最前線で前線将兵を叱咤激励し、部下から絶大な信頼を寄せられた反面、第二次世界大戦では米軍将兵から「待避壕のダグ」と揶揄され、苦い敗北と輝かしい勝利の両方を味わった男。そして、朝鮮戦争では劣勢に立たされた米軍を窮地から救う、一発逆転の奇策を成功させたにもかかわらず、時の大統領トルーマンと衝突して司令官を解任され、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」との名台詞と共に、スポットライトの当たる歴史の舞台から悠然と退場した男。

    いったいマッカーサーとは実際にはどのような人物だったのか。そして、彼に対する米国内での人気や評価は、時代の推移と共にどう変わっていったのか。

    本書は、アメリカの覇権国家としての躍進を体現したかのような軍人マッカーサーの足跡を、コンパクトにまとめた記事です。2008年11月、学研パブリッシングの雑誌『歴史群像』第92号(2008年12月号)の巻頭記事として、B5判17ページで発表されました。アメリカ合衆国が19世紀末から20世紀中頃に至る時期に繰り広げた、主にアジア方面における覇権拡大の歴史を下敷きとしながら、ダグラス・マッカーサー(および彼の父アーサー)という希有な人物の、波乱に満ちた生涯に光を当てています。

    《目次(見出しリスト)》

    アメリカの覇権拡大と共に歩んだ一軍人

    《米西戦争から日露戦争へ》
    軍人の父アーサーと米西戦争
    アメリカ的価値観によるフィリピンの改革
    日露戦争とアジア視察旅行

    《第一次世界大戦と戦間期》
    ホワイトハウス勤務とメキシコでの冒険
    「レインボー師団」の輝かしい戦績
    陸軍士官学校の改革と参謀総長への就任

    《第二次世界大戦期のマッカーサー》
    フィリピン軍事顧問への着任
    「私は帰ってくる(アイ・シャル・リターン)!」
    「私は帰ってきた(アイ・ハヴ・リターンド)!」

    《日本占領統治と朝鮮戦争》
    厚木に降り立ったマッカーサー
    朝鮮戦争の勃発と仁川上陸作戦
    「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」

    《マッカーサーの名声とその実像》
    軍人としての資質と統治者としての器量
    大統領の座を欲していたマッカーサー

    (付録コラム)
    マッカーサーと反共思想
    マッカーサーと二人の大統領
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