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    Torii no aru Fuukei 3 Nara Wakayama Mie (Japanese Edition)

    Por Handeun

    Sobre

    〔序言〕 鳥居という漢字の会意は、「鳥が居る」ということでしょうが、「鳥が居る」ところが、どうして、「丹」の字のような形になるのでしょうか。その源流は、蘇塗と呼ばれる古代の韓半島の習俗にあるといわれています。集落の入口に竿を立て、そのテッペンに鳥形を置いて、悪鬼や疫病などの侵入を防ごうとした習俗です。その蘇塗が、日本では鳥居に発展したといわれています。ですから、鳥居も渡来文化の延長線上にあるといえましょうが、その鳥居のある風景は、日本の原風景といえるでしょう。

    鳥居のある風景 3 目次
    奈良 和歌山 三重
    まえがき
    〔81〕 東大寺 遠敷神社
    〔とうだいじ おにゅうじんじゃ〕  奈良市雑司町406-1 東大寺二月堂
    遠敷神社  「お水取り」に先立つ若狭の「お水送り」
    〔82〕 東大寺 飯道神社
    〔とうだいじ はんどうじんじゃ〕  奈良市雑司町406-1 東大寺二月堂
    飯道神社  実忠の余りの端正さに驚いた光明皇后
    〔83〕 手向山神社
    〔たむけやまじんじゃ〕  奈良市雑司町手向山434 東大寺境内
    手向山神社  東大寺四聖の良弁や行基は渡来人の子孫
    〔84〕 漢国神社
    〔かんごうじんしゃ〕  奈良市漢国町6
    漢国神社  大物主・大己貴・少名彦も〝韓招ぎ〟された韓神
    〔85〕 采女神社
    〔うねめじんじゃ〕  奈良市樽井町
    采女神社  采女安見児を得て感泣した藤原鎌足
    〔86〕 率川神社
    〔いさがわじんじゃ〕   奈良市本子守町18
    率川神社  古代の大和には神武帝を祭る神社はなかった
    〔87〕 大安寺八幡宮
    〔だいあんじやわたみや〕  奈良市東九条町
    大安寺八幡宮  中世まであった「辰市」は辰韓ゆかりの地名?
    〔88〕 大安寺 御霊神社
    〔だいあんじ ごりょうじんしゃ〕  奈良市大安寺1丁目
    大安寺御霊神社  平安末期は御霊信仰一色の社会現象
    〔89〕 推古天皇社
    〔すいこてんのうしゃ〕  奈良市大安寺1丁目12
    推古天皇社  三論・法相・成実・倶舎・華厳・律の南都六宗は哲学教義
    〔90〕 菅原天満宮
    〔すがわらてんまんぐう〕  奈良市菅原町518
    菅原天満宮  菅原道真は天穂日・野見宿禰(土師氏)の子孫
    〔91〕 都祁山口神社
    〔つげやまぐちじんじゃ〕  奈良市都祁小山戸町640
    都祁山口神社  「山の神」などと人(神)格があいまいになった大山祇
    〔92〕 和爾坐赤阪比古神社
    〔わににますあかさかひこじんじゃ〕 奈良県天理市和爾町1194
    和爾坐赤阪比古神社  隼人の祖は天孫ニニギの長男ホスセリ
    〔93〕 和爾下神社
    〔わにしたじんじゃ〕  奈良県天理市櫟本町2430
    和爾下神社  孝安帝の兄天足彦国押人命は丹波海部氏の始祖
    〔94〕 石上神宮
    〔いそのかみじんぐう〕  奈良県天理市布留町384
    石上神宮  石(イソ)は天皇家の始祖「沸流(百済)」を祀る宮
    〔95〕 和爾下神社
    〔わにしたじんじゃ〕  奈良県大和郡山市横田町23
    和爾下神社  和珥氏の祖は天足彦国押人・姥津彦・彦国葺・武振熊日触使主など
    〔96〕 子部神社
    〔こべじんじゃ〕  奈良県橿原市飯高町372
    子部神社  蚕の代わりに嬰児を集めて育てたスガル
    〔97〕 耳成山口神社
    〔みみなしやまぐちじんじゃ〕  奈良県橿原市木原
    耳成山口神社  百済から渡来した大山祇はニニギの嫁コノハナサクヤヒメの父
    〔98〕 畝火山口神社
    〔うねびやまぐちじんじゃ〕  奈良県橿原市大谷町248
    畝火山口神社  神武・綏靖・安寧・懿徳の帝陵が畝傍山の山麓に
    〔99〕 大神神社
    〔おおみわじんじゃ〕  奈良県桜井市三輪1422
    大神神社  出雲族などが大和に進出して大和朝廷を創始?
    〔100〕 穴師坐兵主神社
    〔あなしにますひょうずじんじゃ〕  奈良県桜井市穴師493
    穴師坐兵主神社  大己貴=八千戈=大国主=天日槍?
    〔101〕 相撲神社
    〔すもうじんじゃ〕  奈良県桜井市穴師
    相撲神社  土師氏の祖天穂日は天日槍とイメージが重なる
    〔102〕 白山神社
    〔はくさんじんじゃ〕   奈良県桜井市黒崎
    白山神社  雄略帝の妻問歌は実際は即位宣言歌
    〔103〕 當麻山口神社
    〔たいまやまぐちじんじゃ〕   奈良県葛城市當麻1081
    當麻山口神社  大山祇は日本創世の一人
    〔104〕 高鴨神社
    〔たかかもじんじゃ〕  奈良県御所市鴨神1110
    高鴨神社  カモ(鴨・賀茂・加茂)はカヤ(伽耶、加耶)の転訛?
    〔105〕 八咫烏神社
    〔やたからすじんじゃ〕  奈良県宇陀市榛原区高塚42
    八咫烏神社  八咫烏=賀茂建角身=阿遅鋤高日子根=味耜高彦根
    〔106〕 墨坂神社
    〔すみさかじんじゃ〕  奈良県宇陀市榛原萩原703
    墨坂神社  神武も崇神も〝登美毘古〟であった
    〔107〕 門僕神社
    〔かどふさじんじゃ〕   奈良県宇陀郡曽爾村今井733
    門僕神社  隼人の祖ホスセリは狗奴国の大王
    〔108〕 鎌田天神社
    〔かまたてんじんしゃ〕  奈良県香芝市鎌田683
    鎌田天神社   野見宿禰にあばら骨や腰を踏み砕かれた当麻蹶速
    〔109〕 孝霊神社
    〔こうれいじんじゃ〕  奈良県磯城郡田原本町黒田262
    孝霊神社  桃太郎のモデル孝霊帝の子吉備津彦
    〔110〕 丹生川上神社
    〔にうかわかみじんじゃ〕   奈良県吉野郡東吉野村小968
    丹生川上神社  雨師は檀君神話に登場する桓雄の随伴者
    〔111〕 隅田八幡神社
    〔すだはちまんじんじゃ〕  和歌山県橋本市隅田町垂井622
    隅田八幡神社  「斯麻」(武寧王)が「男弟王」(継体帝)の長寿を願う
    〔112〕 伊太祁曽神社
    〔いたきそじんじゃ〕  和歌山市伊太祈曽558
    伊太祁曽神社  紀氏に追われたイタケル(五十猛)奉斎氏族
    〔113〕 日前・国懸神宮
    〔ひのくま・くにかかすじんぐう〕  和歌山市秋月365
    日前・国懸神宮  紀氏=木氏は百済八大姓の一つ
    〔114〕 藤並神社
    〔ふじなみじんじゃ〕  和歌山県有田郡有田川町天満722
    藤並神社  『続日本紀』などに「アイゴーッ(哀号)」と泣く様子
    〔115〕 伊勢神宮
    〔いせじんぐう〕  三重県伊勢市宇治館町1
    伊勢神宮  天孫族が出雲族を従えていった記念碑的存在
    〔116〕 二見興玉神社
    〔ふたみおきたまじんじゃ〕  三重県伊勢市二見町江574
    二見興玉神社  行基は百済から渡来した王仁博士の子孫
    〔117〕 月夜見宮
    〔つきよみのみや〕  三重県伊勢市宮後1-3-19
    月夜見宮  月神は隼人族や海神族が奉斎した
    〔118〕 須原大社
    〔すはらおおやしろ〕  三重県伊勢市一之木1-3-6
    須原大社  須原は鉄原あるいは新羅原?
    〔119〕 猪名部神社
    〔いなべじんじゃ〕  三重県員弁郡東員町大字北大社801
    猪名部神社  猪名部氏の祖神は新羅派遣の船工匠集団
    〔120〕 猪名部神社
    〔いなべじんじゃ〕  三重県いなべ市藤原町長尾244
    猪名部神社  猪名部は優れた木工集団
    あとがき

    まえがき
     写真紀行「鳥居のある風景」シリーズ第3弾は、〝奈良〟をお楽しみください。ほかに和歌山と三重を若干加えました。和歌山は紀ノ川を通じて、三重は熊野川を通じて、奈良に通じていました。
     明治政府は、〝神社神道〟を民衆統治の核とし、〝韓(朝鮮)かくし〟を徹底させ、韓半島との関係を断絶しました。そればかりか、渡来文化の流れを倒置させて、文物が日本列島から韓半島へ流出したかのごとく偽装しました。その例が、任那日本府であり、神功女帝の三韓征伐であり、それら曲学阿世の輩の史論には辟易するばかりです。
     さらには、中国起源説を振り回して、韓半島経由を完全に脱落させています。韓半島での文化も、中国文化の影響を多大に受けているがゆえに、日本文化の中国起源説もそれなりの説得力をもつことになります。が、よく考えてみてください。韓半島の居住者がそのまま日本列島に移住したならば、どうなるのでしょうか。結果的には、その文化も中国に直結するということになります。だからこそ、日本文化の中国起源説も違和感がなくなるということになるのです。
     しかし、日本にも良識ある公明正大な史学者が少なくありません。そうした史学者の著作は、目に留まることは少ないのですが、韓半島と日本列島との不可分の関係を論じており、なるほどと、納得するところも少なくありません。
     神社は、皇国史観の拠点として、戦争推進の旗振り役を演じさせられました。が、戦後日本は、贖罪の意識もあってか、その存在が完全に無視された形になっています。伊勢神宮や靖国神社などの大きな神社は初詣などには大変な賑わいですが、田舎のどこにでもあるような小さな神社の存在などは見向きもされていません。氏子にも見放されているような荒廃も感じられます。
     ですが、そのような神社の祭神は、そのほとんどが渡来神です。そのことに気付いて以来、渡来人の足跡を追うことがライフワークとなり、折があれば、神社に参拝し、遠い先祖の労苦を偲ぶようになりました。  2016年10月
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