1945年8月15日、日本で天皇によるポツダム宣言受諾の詔勅(いわゆる玉音放送)がラジオを通じて国民に伝えられる数時間前、中国の重慶にあるラジオ局は、中国国民党の最高指導者・蒋介石(しょうかいせき)による、次のような演説を国の内外に向けて放送した。
「我々(中国)は終始一貫して、日本の好戦的軍閥を敵と見なす一方、日本の人民は敵とは認めなかった。我々は日本に、一切の降伏条件の忠実な履行を求めるが、決して報復を意図しない。日本国民自身をして、過去の罪悪と錯誤を正さしめんとするもので、もし我々が暴力を以て暴力に報い、怨みを以て怨みに報いるならば、永遠にとどまるところがないであろう。これは決して、わが仁義の師の目的ではない」
国民党お抱えのスピーチライターではなく、蒋介石自ら筆をとって原稿を書いたとされるこの演説は、戦後の日本では「以徳報怨(徳をもって怨みに報いる)」の崇高な精神として礼賛され、中国大陸に残された日本軍人の引き揚げが比較的順調に進められた事実とも相まって、蒋介石を「日本にとっての恩人」とまで呼ぶ風潮すら一部には生じていた。
しかし、中国と台湾の現代史の文脈で蒋介石の足跡をたどっていくと、そこには義理人情に厚い「寛大なる指導者」という戦後の日本で広く信じられたイメージとは全く異なる、強権的で無慈悲な独裁的権力者としての横顔が浮かび上がってくる。
共産党の支配する中国では「帝国主義・封建主義の独裁者」や「中国人民に災いをもたらした公敵」などの苛烈な言葉で激しく罵倒される一方、彼が後半生を過ごした台湾では公的には「孫文に次ぐ第二の国父」として広く礼賛される一方、「ニ・二八事件」に象徴される無慈悲な民衆弾圧(いわゆる白色テロ)を断行した冷酷な独裁者として、今なお恐怖の記憶と共に声を潜めて語られる不気味な存在である。
痩身と禿頭、そして異様なほど鋭い光を放つ双眸から、鋼のようなイメージで語られることの多い蒋介石だが、実際の彼はどのような人物で、いかなる思想の持ち主だったのか。二度にわたり日本に留学した蒋介石は、日本という国に対して、どんな感情を抱いていたのか。そして、20世紀の中国を舞台に、波瀾万丈の人生を送った蒋介石が、生涯をかけて追い求めた「人生の目標」とは何だったのだろうか。
本書は、中国と台湾の現代史における最重要人物の一人である蒋介石の足跡と横顔を、コンパクトにまとめた記事です。2008年5月、学研パブリッシングの雑誌『歴史群像』第89号(2008年6月号)の記事として、B5判14ページで発表されました。主題に関連するコラム記事「中国国民党小史」「台湾における蒋介石」「蒋介石以後の台湾」も巻末付録として収録しています。
《目次(見出しリスト)》
義理人情に厚い「以徳報怨の士」?
《生い立ちと日本留学時代》
母思いで喧嘩早いガキ大将
日本で受けた軍人教育
革命軍で頭角を顕す
《北伐指揮と西安事件》
ルーズだった女性関係
「西安事件」とその影響
《戦争指導者としての蒋介石》
対日戦と対欧米宣伝
軍事指導者としての限界
国民党内部の腐敗への無策
《台湾への逃避と新たな「災い」》
アメリカという後ろ盾を得た蒋介石
亡命を余儀なくされた副総統
《蒋介石とは何者だったのか》
蒋介石と日本陸軍的価値観
蒋介石が目指したもの、遺したもの
【付録コラム】
中国国民党小史
台湾における蒋介石
蒋介石以後の台湾
Chiang Kai-shek (Japanese Edition)
Sobre
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