前書「太平記二」では、鎮圧されたかに見えた倒幕勢力は驚異的な復活を遂げ、太平記「第一部」のヒーロー楠木正成と大塔の宮護良親王が大奮戦、後醍醐天皇も隠岐の島を脱出。攻守逆転して、ついに「官軍」は京都の六波羅探題を攻めるまでになりました。本書「太平記三」では、鎌倉幕府は一瀉千里に滅亡を迎えます。巻第九で京都の六波羅探題が潰滅。巻第十で鎌倉滅亡。巻第十一では、長門探題その他の鎌倉幕府の残党が一掃されます。ここでは「朝敵」として亡ぼされた側からの視線で描写されています。太平記の一番美しいところはここではないかと思われるほどです、
太平記の素晴らしさは、平家物語と同様に、このときの敗者に対する哀悼と敬意に満ちた描写でしょうか。
巻第十二からは「建武の新政」なのですが、これは・・・。何のための倒幕だったのかと。
足利高氏は巻第九の冒頭から登場します。
太平記は、南北朝時代を舞台に、後醍醐天皇即位の文保二年(一三一八年)から室町将軍義詮が逝去し、細川賴之が管領に就任した後村上天皇の正平二二年(一三六七年)一二月までの約五〇年間の戦乱を描いた軍記物語です。
太平記の作者については、小島法師(児島高徳)、玄恵などの諸説がありますが、結局のところ未詳というほかなく、その成立には複数の人物が関与し、数次にわたって増補改編され、一三七〇年ころまでには現在の四〇巻からなる太平記が成立したと考えられています(確かに原著では、巻等によって微妙に漢字、仮名遣い、言葉遣い等が異なります)。
内容は三部構成で、後醍醐天皇の即位から鎌倉幕府の滅亡を描いた第一部(巻一〜一一)、建武の新政の失敗と南北朝分裂から後醍醐天皇の崩御までが描かれる第二部(巻一二〜二一)、南朝方の怨霊の跋扈による足利幕府内部の混乱を描いた第三部(巻二三〜四〇)からなります(こんなことを言うのも何ですが、お話の筋が明解で分かりやすく面白いのは第二部までで、第三部になると、いったい誰と誰が何のために戦っているのか分からなくなるほど、目まぐるしく敵御方が入れ替わって、なんだか応仁の乱の予行演習みたいになってしまいます。終わり方も無理矢理こじつけたみたいで、龍頭蛇尾。「細川賴之が登場したからどうなの?」と言いたいくらいですが、物語としては、とにかくどこかで終わらせなければしょうがなかったのでしょう。)。
なお、本来の巻二二は、天皇や武家方に対して不都合なことが書かれていたためか、一六世紀の時点で既に欠落し、現存の巻二二は、前後の巻より素材を抜き出して補完したものだと考えられています(もしもどこかにひそかに残っていたら、その巻二二は是非とも読みたいものです。)。
太平記は、古来軍記物中最も愛読されていたといわれ、戦国時代には陣中にさえ携えられ、江戸時代には太平記読みという、公衆の前で朗読する職業すらあったほどです。
平家物語などの他の軍記物と同様に、印刷技術のない写本の時代に成立したため、現存する諸本には、十数種の異本があります。日本古来の写本は、西洋の中世の修道院などで作られた写本とは異なり、写本作成の課程で、写経のように一字一句正確に複製するのではなく、むしろ意図的な添削が行われたからだと推察されます。
本書は、流布本系統の元和二年(一六一六年)刊の古活字本(カタカナ本)をベースに、他の諸本も参考にして字句等を校訂したものですが、読みやすさや技術上の理由から、カタカナを平仮名に改め、漢文体の表記は全て読み下し文に直し、かつかなりの漢字表記を平仮名表記に改めています(振り仮名も付けていますのでご安心を。太平記本来の「歯ごたえ」をご期待の方々には申し訳ございません。)。その意味では、平成の夕陽亭版の写本です。若干(この「若干」という語は、本書本文中では「そくばく」と読んで、「相当量」「たくさん」という意味ですが、ここではそういう意味ではございません。)ですが、脚注も付けました。本文中の注番号をクリックすると開くようになっています(開きにくいときは、なるべく上の方をクリックしてください。)。
Taiheiki3 (Sekiyouteibunko) (Japanese Edition)
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